2020年5月3日掲載
The Ray Draper Quintet Featuring John Coltrane
New Jazz原盤         1957年12月録音

 40年ほど前に見たTV番組に、プロ・ミュージシャンを目指す大学生を取り上げたものがあり、その人は高校生時代に原辰徳選手らと甲子園に出場した野球選手で、大学進学と同時に目標を音楽に変え、そのチャレンジぶりを伝える番組でした。何故だか私はこの番組が印象に残り、その後に何度か思い出しましたが、その方の情報に接することなく、いつしか忘れていました。

 私が毎年顔を出している横濱ジャズプロムナード、確か2018年の最後のプログラムに、私はニューオーリンズ・ジャズのステージを選びました。普段は全く聴かないジャンルに接してみようと、日本三大バンドの共演ステージを楽しんでいました。外山喜雄とデキシー・セインツのステージでのバンマスのMCでは、ニューオーリンズでのジャズ武者修行の壮絶さに驚いていた後に、メンバー紹介に移りました。ウッドベース藤崎羊一!、との後にバンマスの「彼は高校時代には原辰徳と甲子園で活躍し決勝に二度・・・」、との説明を聞いて私は、40年前のTV番組を思い出しました。

 このステージを楽しみ、自宅に戻り、ネットでベース奏者藤崎氏について調べたところ、若い時には自分のバンドで活動した後の1998年からデキシー・セインツに加わったそうです。そしてチューバも演奏するようになったとのことです。確かに横濱ジャズプロムナードでの他の二つのバンドにはベース奏者はなく、チューバがベースラインを担当していました。

 ジャズでは長らくチューバは必要不可欠な楽器であり、ベースラインを担当する楽器だったのです。その役割がウッドベースになってからはチューバの活躍場所はジャズにはなくなりましたが、1950年台半ばにプレスティッジは、レイ・ドレイパーという若いチューバ奏者にレコーディングの機会を与えました。レイの経歴や、このコルトレーンとのセッションについては、「今日のコルトレーン」に書きましたので、そちらをご参照ください。

 ジャケを見ればまだ幼さも感じる青年が、チューバを抱えています。その年齢は、藤崎氏が甲子園で活躍していた時期と同じであります。

20200503

 その音色から、楽器の構造から、そしてミュージシャンとしての器から、ソロとの面ではテナー・サックスのコルトレーンの演奏が耳に残ります。しかしチューバのレイさんも、心に残る存在感を示しています。人気曲「Under Paris Skies」や、「Filide」でのレイさんの演奏は素敵なものです。またコルトレーン抜きの「Hadn't Anyone」でのレイさんも、朴訥ながら楽器の個性を発揮した演奏です。

 このごのレイさんは、1960年台から1982年に亡くなるまで、LAとロンドンで映画や舞台の音楽に携わっていました。高校時代にレコード・デビューという華やかさから、きちんと自分を見つめて次のステップに移っていく姿は、私の中ではデキシー・セインツの藤崎氏に重なるものです。

 大きな看板で働いていた勤め人が定年した後に何も出来なくなる、またはほんの少しの成功体験から抜け出せずに埋もれていく人々、今の日本にはそういう方々が少なからずおります。自分の次のステップを考えて行動する意義を改めて痛感しながら、本作を聴き終えました。