銀座などのクラブで活躍していた穐好敏子の話題は、来日していたオスカー・ピーターソンの耳にも入り、昼のテネシー・コーヒー・ショップまで穐好の演奏を聴きに行ったのです。「今晩はどこで演奏するのか」とピーターソンから聞かれた穐好は「クラブ・ニュー銀座です」答え、ピーターソンは「OK。ではまた今夜」といったのです。約束通り夜のニュー銀座に現れたピーターソンは穐好などと一緒に演奏し、帰り際に「話があるから明日ホテルまで来てくれ」と穐好に言ったです。そのホテルでピーターソンはノーマン・グランツに穐好を紹介し、さらには穐好をレコーディングするようグランツに薦めてくれたのでした。ピーターソンの推薦ならばとグランツは穐好に、「私のリズム・セクションを貸すから私のレーベルで録音しませんか」と言ったのです。
こうして1953年11月13日に有楽町にあったラジオ東京のスタジオで、この穐好敏子さんの作品が吹き込まれたのです。これは岡村融氏の解説からの抜粋ですが、この作品にはこんなストーリーがあったのですね。
グランツが穐好に貸したメンバーは、ハーブ・エリス(g),レイ・ブラウン(b),そしてJ.C.ハード(d)でありました。
野毛に「ちぐさ」というジャズ喫茶がありました。戦前からのお店で、戦後はある筋から入手したVディスクを掛けていたそうです。その演奏を真剣に聴いていたのが、穐好敏子さんなのです。「ちぐさ」の名物親爺がインタビューなどで何度も語っていた話なので、ご存知の方も多いことでしょう。
海の向こうの音楽を吸収しようと必死だった穐好さんの姿が、このスタジオ録音にはっきりと表れております。あまり聞かない『シャドラック』や、穐好さん作の『ソリダード』、そしてソロで演奏されている『ローラ』に、そんな真剣なジャズへの思いが表れております。そしてその真剣さに、微かに和の味わいが加味されています。
さてこのスタジオ録音8曲は10吋で発売されたのですが、12吋で発売する際には、1957年7月のニューポート・ジャズ祭でのライブが4曲加わりました。1956年に渡米し、バークリーで学んでいた穐好さんの大舞台。パウエルへの熱き思いと、先ほどの和の味わいが一層濃くなって、個性が感じ取れる演奏になっております。