ディスクユニオン関内店中古CD半額セールで、300円で購入した作品です。
タル・ファーロウのこの名作も、ようやくCDでの入手となり、「今日の1枚」に掲載できます。エディ・コスタ(p)とヴィニー・バーク(b)との、トリオでの演奏です。
さて購入した中古CDには、油井先生が、恐らくは1970年代に書いたとおもう解説が使用されています。そこには日本での1960年台半ばの、日本でのタルの不人気ぶりが書かれています。
タルは現代最高のギター奏者との思いの油井先生は、1966年に「タル・ファーロウ傑作集」編纂を考え、まずは1958年から消息が日本に伝わってこないタルの状況を確かめるために、レナード・フェザー氏に手紙で問い合わせたそうです。そしてフェザー氏からの返信には、タルは経済的に恵まれており、半ば引退の状態であるが時折クラブで演奏している、とのものでした。
他にも下調べを行った後に油井先生は「タル・ファーロウ傑作集」企画を打診したのですが、誰も関心を示さなかったとのことです。ウェス全盛時代にタルは、日本ではすっかり忘れられたのです。
しかしながらタルは1968年のニューポート・ジャズ祭に出演し好評を博し、一躍ジャズ界の注目の的になったそうです。
この「今日の1枚」で取り上げたタルの作品は1969年録音作品だけですが、それはまさにそんな時期の作品なのでした。
余計なことかもしれませんが、少し疑問がでました。1969年録音作品を取り上げた際に私は「新・世界ジャズ人名辞典」からの情報として、タルは「1950年代末には引退し看板描きの仕事についていました」と書きました。油井先生が書いたフェザー氏の情報とは違うようですが、深く考えなくてもよいでしょう。
シングル・トーンで、弦の響きが伝わってきて、そこに豊潤な歌心ですので、この時期のタルさんの演奏には誰もがうっとりするものでしょう。演奏技術に注目すれば随分と早弾きなのですが、音楽として楽しんでいる際には、それを全く意識しないものです。この曲が白眉だ、との感想を書こうと思ったのですが、8曲全てで光を放っている演奏が楽しめます。
さて看板屋の件ですが、タルさんは若い頃から看板屋業に関わっていたとのことです。そうすると、「1950年代末には引退し看板描きの仕事についていました」との話は、看板会社を経営していたとも考えられます。どうでもいい事なのでしょうが、何か気になりました。
最後の再び油井先生の解説を紹介します。1968年に来日したジム・ホールとバーニー・ケッセルに油井先生がインタヴューした際に二人は、「最も尊敬している先輩はタル・ファーロウだ」と語っていたとのことです。二人はタルにカムバックを勧めていましたが、タルはカムバックするからには、新しいものを身につけてセンセーショナルなものにしなければならないと、思い続けていたとのことです。
1950年台の傑作、そして1968年のニューポートでのカムバック、映画にもできる内容ではと思いながら、本作を聴き終えました。