テナー・サックス奏者のドン・ウィルカーソンと言えば、1962年から1963年にかけてブルー・ノート4000番台に吹き込んだ3枚の作品で、今でも日本のジャズ・ファンに知られた存在であります。
テキサス出身でテキサス・テナーの一人に数えられる彼は、LAで活動している時にレイ・チャールスのバンドに加わり1956年まで活動していました。その後の少しの間マイアミのクラブで演奏していましたが、その際にキャノンボール・アダレイが彼の演奏を耳にしました。それから暫く経った1960年、キャノンボール・アダレイはリバーサイドのキープニュースからプロデュースを任され、マイアミで耳にしたドン・ウィルカーソンの作品を思いつき、SFに飛んで録音したのが本作品であります。
録音は二日に渡り、バリー・ハリス,ナット・アダレイ,そしてビリー・ヒギンズが両日参加、ベースはサム・ジョーンズとリロイ・ヴィネガーが参加しました。BNの作品に比べると、このリバーサイドでのドン・ウィルカーソンの初リーダー作品は、日本で陽の目を見ることはありませんでした。
イケイケのA面よりも、ミディアム・ナンバーを並べたB面の方が、彼のテナー・サックスがよく歌っております。この後にBNに作品を残した彼は、1960年代半ばからはヒューストンで演奏を続けておりましたが、一線でその名前が出ることなく、1986年に亡くなりました。