発売された1989年当時の渋谷ジャロさんのアルバイトは写真学校に通っていた青年で、勤務日の日曜祭日以外もジャロさんによく居りました。彼はパウエル好きで、この発売ニュースにあたって彼が目を輝かせていたのが実に印象的でした。
さて第1集での1948年の録音以降パウエルは再び入院し、1949年4月に退院しました。この後1951年までにパウエルは数々の名盤を吹き込んだのです。Verve「ジャズ・ジャイアント」「ザ・ジーニアス・オブ・バド・パウエル」,Blue Note「アメイジング・バド・パウエル・1集と2集」など、不滅の名盤と言っていい作品です。 その後飲酒過多になり、麻薬常習で逮捕され牢獄に入ったのです。
1953年2月にバードランドのマネージャーでもあるオスカー・グッドシュタインの保護観察のもとパウエルは、ジャズの第一線に戻ってきました。この時期のパウエルは精神状態によって好不調が激しかったです。
今日取上げる第2集には、8つのセッションが入っております。何故だか1946年の演奏も入っているのですが、1953年と1955年のバードランドでのものが主となってます。また1953年にトロントのマッセイホールで、ミンガス・ローチ・ガレスピーと吹き込まれた演奏も収録されています。
しかしながら興味はバードランドでのピアノ・トリオ演奏4セッションです。ぺティフォードとブレーキーとで2セッション、ぺティフォードとヘインズで1つ、フランクリン・スキーツとブレーキーで1セッションです。
録音の悪さは当然と受け止めなければいけないのであるが、悪すぎ。例えばマッセイホールの演奏で聴き取れるのは、ガレスピーのペットだけ。またバードランドでのピアノ・トリオの3つのセッションの不満点は、どれも録音の悪さだけではなく、「バードランドの子守唄」というセッションのクロージング曲1曲だけの収録であり、実に物足りないもの。
収穫は1955年に共演者不明とクレジットされているビッグ・バンドでの演奏1曲。この盤の中では聴ける録音であり、また実質ピアノ・トリオによるもの。突き刺さるようなパウエルのピアノが味わえます。
ジャケに移っているパウエルは痩せておりますが、これは1940年代のものかな。