この年の5年ほど前からのマレイの作品に常に接してきた人には、この時のマレイにベスト・マッチの共演相手として、デイブ・バレル(p)とヒュー・レイギン(tp)を間違いなくあげることと思います。この二人を含んだクィンテットの作品が今までなかっただけに、それを強く望んでいたのは僕だけではないと思います。遂に実現しました。ベースはお馴染みのウィルバー・モリス、ドラムには初参加になるタニ・タバルが加わっています。マレイのファンを魅了し尽くしてきたバレルの曲がここで2曲初披露されていますし、マレイの新曲も3つ取上げられてます。2年のマラソン・セッションでトラディショナルの解釈力の高さを示した、マレイがここでは“時には母のない子のように”を吹き込んでいます。メンバー、選曲共に、聴く者の心を揺さぶる作品ですね。
マレイの作品は国内発売されることは殆ど ありませんけど、DIWから発売されているのは当然国内発売でして、日本語解説が付いていま す。その解説を読んでいると、データの記載ミスが多々見受けられます。商売で書いている文章なのだから、ましてやデータを元に評論を展開していくのだから、そのデータは正確な ものであって欲しいですね。話が飛びましたがその解説の中に、“伝統に回帰した演奏”と いう言い回しを、どの解説者も書かれてます。ただそこで触れられる伝統とは、ベン・ウェ ブスターやホーキンスといったマレイが好きで聴いていて、必死でコピーした偉大なミュー ジュシャンのことを指しています。このような解説を読んでいると、マレイの演奏が愛するミュージュシャンの模倣になっていると、解釈してしまうことがあります。マレイの演奏は、好きで聴いてきて自分の身にしたジャズの過去の演奏を、ロフト・シーンでの激しい即興演奏から出発し、大編成での活動などを通して、常に前向きに自分のスタイルを突き進めているというのが、僕の捕らえ方です。決してジャズ界の過去のスタイルに戻っていくものではなく、それは特にマラソン・セッションで繰り広げられたフォー・ビートでの展開も、その時の自己表現方法の最良の手段として行なっているだけですよ。この作品では、ゴスペル調の曲を展開していくことで、バレルとレイギンと共に新たな刺激を我々に提供してくれ、クィンテット編成でのマレイの作品の中でも突出した出来です。ここでの演奏を聴けば、やることに詰まったためではなく、自分の数ある引出しの中からこの時の最良の表現方法を取り出しただけですよ。