フィニアス・ニューボーンとメンフィスで子供のころからの友達だったというブラッドショウは、昼間は自動車工場で働き夜はローカル・バンドで活動しながら、活躍の機会を狙っておりました。そんな彼を地元のDJが目をつけ、リバーサイドに紹介して、初リーダー作が吹き込まれたのが1958年6月のことでした。発売後の評判は良くなかったにも関わらず、リバーサイドは2作目の録音の用意しました。アルヴィン・ジャクソン(b)とリチャード・アレン(d)とのトリオ作品です。
力強いブルース・フィーリングが感じられるピアノ演奏です。しかし個性、或いは深さという意味では物足りない。この部分が世間の評価に結びつかなかった一因でしょう。『it ain't necessarily so』でのバラッド・フィーリングなど聴きどころはあるピアニストですが、この吹き込み以降の行方は知られておりません。地元に戻って堅気の仕事を続けながら、時折地元のクラブで活動していたとするならば、それも幸せな人生なのでしょう。