19640427-17

Song Of Praise (John Coltrane)
                      (13分56秒)



【この曲、この演奏】

 この曲はここでの演奏の1年後の1965年5月17日に再びスタジオ録音され、同年8月にA(S)-85「The John Coltrane Quartet Plays」に収録されて、世に出ました。その10日前のハーフノートでのライブ演奏は、ブートレグで割と早い時期から世に出ているとのことです。

 さてこのセッションでの演奏ですが、没テイクとなり、「Bessie's Blues」とは違って、1964年6月1日のクレッセント用二度目のセッションでは演奏されませんでした。

 さて神への感謝の気持ちのこの曲ですが、コルトレーンは表現したい曲を作ったけれど、表現するまでには至っていない、荒々しい箇所が目立つ演奏です。ただし没テイクだと割り切って聴けば、コルトレーンとエルヴィンの激しいぶつかり合いを楽しめる演奏とも言えます。

 また資料07でも、1998年にこの演奏が世に出た際のCDでも、1つのテイクとして扱われていますが、実際は二つのテイクが続いているものです。



【エピソード、バーバラ・ガードナーの記事 その16】

(1962年発表の文章)

 今ある素材では音楽的刺激が得られなくなったとき、あるいはそれが表現のはけ口とならなくなったとき、ミュージシャンが採るべき明白な解決方法がある。

 「自分で曲を書けばいいんだ」。彼は得意がるわけでもなく、そう言った。「だが、ホーンに費やす時間を削りたくはない。作曲はいつでも二の次だったが、最近は、作曲により時間をかけるようになったと思う。正しい曲が見つからないからね」

 シャイで無口なこのリードマンの親友や同僚たちは、彼が神出鬼没な虹の尻尾を捕まえる瞬間が来るのを、固唾を飲んで見守っている。おそらく、現在の一流のプレーヤーの中で、コルトレーンほど大胆で、攻撃的で、活動的なテナー奏者はいないだろう。彼の実験的かつ効果的なソプラノ・サックスの利用法は、モダン・ジャズの新たな特徴となり得ると考える者も多い。それでもなお、彼の知人たちは、あの唐突で野心的なコルトレーンがどこからともなく立ち現れるのを待っている。二年前、彼が脚光を浴びたときのように。

(資料04より)



【ついでにフォト】

tp11007-098

2011年 ペナン、マレーシア

(2021年5月20日掲載)