19580911-05

Epistrophy (Thelonious Monk)(5分9秒)



【この曲、この演奏】

 このモンクの有名曲のコルトレーンの演奏記録ですが、コルトレーンの演奏記録は3つあり、全てモンクのバンドでのものであり、その3回は全て発売されています。最初は1957年6月26日のスタジオでの演奏で、これはアルバム「モンクス・ミュージック」に収録されています。次は1957年11月29日のカーネギー・ホールでの演奏で、2005年に発売されました。そして3度目が本セッションでの演奏です。(資料07)

 さてこの曲の勇ましいテーマの演奏ですが、コルトレーンのテナーは悲鳴をあげているようですし、ヘインズのドラムは何かを仕掛けているようです。このセットでの最後に、何らかのドラマがあったのかと想像を巡らせる場面です。

 続くコルトレーンの2分弱のソロですが、この日のここまでとは明らかに何かが違うようです。そしてその2分の間、モンクは挑発しているかのピアノをコルトレーンにぶつけています。

 そしてモンクのソロとなり、この日一番の攻撃的な演奏となっています。しかし残念なことに、1分半ほどで録音は途切れ、次に聴けるのはエンディングでのテーマ演奏です。



【エピソード、ファイブ・スポットを録音しなかったキープニュース その2】

 リヴァーサイドは何故にコルトレーン入りモンク・カルテットのファイヴ・スポットを録音しなかったのか、今回は2006年に著したオリン・キープニュースの文章を、資料19から引用する。

 しかしながら、リバーサイドとわたしにとってもっともエキサイティングな機会だったこのチャンスを録音しなかったのは大問題だ!

 この滅多にないチャンスを見逃してしまったことに対しては、これまでもしばしば小言を言われてきた。最初のセットからファイヴ・スポットでテープを回さなかったどうしてなんだ?

 わたしたちがそのことを考えていなかったわけではない。プレスティッジの創業者でこの時点ではオーナーでもあったボブ・ワインストックと、このことについて話す時間がなかったわけでもない。それについては納得のできる話ができたと思っている。彼は、モンク・グループの一員として、自分のレーベルの契約アーティストがわたしたちのところでレコーディングすることについて喜ばしく思っていた。ただし、問題は彼がわたしたちと同じように、コルトレーンが参加したモンクのレコードを作りたいと主張したことである。1955年にワインストックのレーベルからモンクが飛び出したときのことや、リバーサイドがこのピアニストと契約を結ぶのをどれほど首を長くして待ち望んでいたかを、彼は忘れてしまったのかもしれない。

 セロニアスはプレスティッジでの無益な日々のことを許せずにいたし、彼のことをどれほどないがしろにしたかについても忘れてはいなかった。彼が二度とあのレーベルでレコーディングしたくない気持ちを、わたしは瞬時にして察することができたのである。


 キープニュースが言いたいことは、先に紹介した1987年の文章と、この2007年の文章での違いはない。しかしながら、ファイヴ・スポットを録音しなかった悔しさと、モンクに酷い対応を行ったプレスティッジへの恨みは、この二つの文章の20年間で大きくなっているようだ。その理由はモンクとコルトレーンの演奏が、1993年と2005年に発売されたことが、その一因であろう。



【ついでにフォト】

tp13037-030

2013年 みなとみらい 


(2022年6月14日掲載)