19661111-03

Leo (John Coltrane)   (21分26秒)



【この曲、この演奏】

 日本公演ではお馴染みとなったこの曲ですが、このテンプル大学に集まった観衆は初めてこの曲を聴いたことでしょう。

 さて演奏ですが、コルトレーンのテナー・サックスによる10分弱の演奏から始まります。モールス信号で宇宙と交信しているかのテーマの後にアドリブ・パートとなりますが、それは人間が感情を出し切った後に何が待ち構えているのかを試すかのような演奏です。後半からはバックで何らかの音が重なっていき、そしてファラオがテナーやピッコロを重ねていきます。

 それに続くのがドラム・ソロです。ラシッドなのか弟なのかは別にして、6分のこのソロには単調さを感じるのは正直なところです。

 演奏が始まって15分45秒のところで、歌なのか叫びなのかが始まります。資料03や資料05の情報からすれば、これはコルトレーンなのでしょう。そう言われればですが、その叫びか歌かに揺れもあるように思いますので、胸を叩いていたのかもしれません。

 こんな40秒の後にコルトレーンはテナー・サックスを口にし、壮絶な演奏へ突入します。テーマ・メロディも顔を出し、ファラオも加わり始めてから僅かなところ、コルトレーンの二度目のテナー演奏の4分51秒、全体では21分26秒のところで、録音は突然終わります。恐らくはテープ交換の場面となったでのしょうが、後二分あればという場面なので、残念な限りです。



【エピソード、胸を叩くコルトレーン】

 コルトレーンが演奏の最中に、「声を出しながら胸を叩いた」とのお話は、10数年前からweb上で時折目にするものであった。私は、本当なの?、との思いでいたが、このテンプル大学でのライブCDが2014年に発売され、それを耳にすることができた。

 ここでは私の手持ち資料でこの件についての部分を、紹介する。

 先ずは2008年刊行の資料03である。

 コルトレーンはいつもすべてを考え抜いた上で実行に移していた。それだけに、彼の胸を叩く行為は奇妙な感じをさせる。一九六六年から一九六七年にかけて、コルトレーンは演奏中、再三にわたってサックスを口から離し、自分の胸を叩き、マイクに向かって歌った。ラシッド・アリはそれをある種の早すぎる終末の表れ、すべてを演奏し尽くしてしまった結果だと見る。アリは次のように回想する。「『トレーン、なぜあれをやるんだい、胸を叩いてマイクに声を入れるやつを?』と訊ねると、彼は『サックスを吹くこと以外、おれには何もないんだよ』と言った。彼はサックスでやるべきことを全部やってしまった。演奏することのほかに何も見出すことができなかった・・・彼はサックスを使い切っていたんだ」


 2011年刊行の資料05には、次の記述がある。

 一九六六年一一月六日、日曜日の午後、コルトレーンはそのアドヴォケイト教会でコンサートを開いた。演奏にはアリスをはじめとするバンドのメンバーのほか、大勢のパーカッション・プレイヤーが参加していた。その五日後には、教会から数ブロック先のテンプル大学で同様の演奏をする。共演したケニヤッタによれば、「トレーンは胸をゴリラのように叩いたり、ヨーデル風に叫んだりしていた。もう、すごい演奏だった」という。現存する四曲のテープからも壮絶な様子がうかがえる。録音した当時のテンプル大学放送部の学生ミシェル・ピエールは、「これはジャズコンサートではなく、何て言うか、精神的な大覚醒(Spiritual Revival)のような、生まれて初めての体験だった」と興奮気味に語る。



【ついでにフォト】

tp05060-107

2005年 香港


(2021年9月27日掲載)