Serenity (John Coltrane) (3分24秒)
【この曲、この演奏】
9月2日のカルテットによるこの曲の演奏では、上手くいかないことや悲しみを受け入れる心の動きを表現していました。
それから2ヶ月半後の6人編成では、コルトレーンの心の在り方を見つめている、ゆったりテンポながら強い気持ちが伝わる演奏で、この組曲が終わっていきます。リズム陣4人がそれにしっかりと寄り添っている姿には、この編成が上手く機能しているのかとも感じました。
【エピソード、ラシード・アリについて その2】
シードは(ラシードはよくこう呼ばれた)異色のドラム奏者だった。例えばベースのスティーヴ・デイヴィスとジミー・ギャリソンがかなり違っていたように、エルヴィン彼にも大分相違があった。アリは前衛だった。彼をエルヴィンと比較すると、例えば基本的なリズムのきざみなどにはあまり関心がなく、そのかわり、メロディの即興演奏に興味を持っていた。彼は拍子を伸ばしたり、縮めたりするのが得意で、リズムのアクセントだって目まぐるしく変えてばかりいた。時には、ドラム奏者というよりベース奏者のような演奏さえした。彼はエルヴィンのように力強くも、大きくもドラムをたたくことはできなかったが、それは大体どんなドラム奏者だって難しい話で、比較するのが無理がある。だがコルトレーンはアリを評してこう言っている。「アリは、いわば多目的ドラム奏者だ。どんな風に、どんな方向に演奏しても彼はぴったりとついて来てくれた」
コルトレーンによるドラム評を思い出しながらアリは言う。「トレーンはドラムとさしで演奏するのが好きでした。ドラムならコード・チェンジを心配することもないので、自由にやれるのがいいと言っていました。つまり、ドラムとなら自分のやりたいことが勝手気ままにやれる、というわけです」
(資料01より)
【ついでにフォト】
2015年 みなとみらい
(2021年9月13日掲載)