19650616-06

Dusk Dawn (John Coltrane)  (10分48秒)




【この曲、この演奏】

 レコーディングの時には「Still Another Tune」との仮題だった(資料07)この曲は、1978年に世に出ました。この1978年の発売の際に、当時のImpulse!の権利所有者が曲の雰囲気から「Dusk Dawn」を命名したのだと思います。

 一般的には「Dusk to Dawn」で「夕暮れから夜明けまでの」との意味になります。夜には楽しみも多いのですが、日本語で「夕暮れから夜明けまでの」と書くと、憂いの夜を思い浮かべます。そしてこの曲の持つ雰囲気も、まさに「憂いの時」です。

 「憂い」ですが、「うれい」と読むと「心配。悲しみ。嘆き」との意味で、「憂いに沈む」と用います。この「憂い」を「うい」と読むと、「思うようにならなくて、つらい」との意の形容詞となり、「憂い思いに沈む」と用います。(ネット上の「Oxforg Languages の定義から)

 そうするとこの曲は、「うい」がピッタリかなと思い、「憂い思いに沈む、夕暮れから夜明けまでの時間」との表現が相応しいものでしょう。


 さて演奏ですが、コルトレーンのテナー・サックスによるテーマで、夕暮れの美しさが過ぎ去ってからの憂いを感じさせるものが、1分強あります。

 そこからオン・リズムになり、コルトレーンはすぐ抜けて、ピアノ・トリオでの5分弱の演奏となります。マッコイのピアノも憂いの表現ですが、コルトレーンとの性格の違いが感じられて、興味ある演奏です。

 続くのがギャリソンのベース独奏の3分です。ここでのギャリソンの姿に触れると、この1965年のコルトレーンにはギャリソンの独奏が必須となっているなと感じます。

 最後に再びテーマです。コルトレーンの登場時間は全体の2割であり、しかもアドリブ無しです。それでもコルトレーンのサックスが、演奏全体を支配していると感じます。


 この曲のコルトレーンの演奏記録は本セッションだけですが、このテイクの前に1回だけこの曲を演奏しています。そしてそれは、1999年から2008年のいずれかの年に発売された、Impulse! 314 543 412-2 (Kulu Se Mama [+3])というCDに収録されています。(資料07)

 弊サイトで「コルトレーン特集」をしていく中で、このCDの存在に初めて気付きました。すぐにこの、「クルセ・ママ、追加曲あり」をネットで探しましたが、いまだに入手できていません。「コルトレーン特集」でプレスティッジ・アトランティック・インパルス!での演奏を掲載して354曲(テイク)目となりますが、その音源に触れられないのはこれが初めてとなります。入手次第、このページを更新します。




【エピソード、ジョー・ゴールドバーグの著書から その14】

 1965年に刊行されたジョー・ゴールドバーグの著書「Jazz Masters Of The Fifties」の中の、コルトレーンに関する思慮に富んだ文章の日本語訳が資料04にあるので、数回に分けて掲載する。


 新しいものへの飽くなき渇望に身を任せつつ(コルトレーンは自分がリーダーではなく、妄想を実現することで金を稼ぐという異例の地位を手にした、音楽の徒だと考えている)、コルトレーンは商売と芸術を見事にドッキングしてみせた。彼のプレイはどちらのサックスでも基本的に変わらないが(「音楽的な信念を持つべきだ。楽器に言いなりになってはいけない」)、人気獲得に大きく貢献したのはソプラノ・サックスのほうだ。この楽器のおかげで、コルトレーンは、一九六一年には、ニューヨーク市内の四大ジャズ・クラブに出演できるようになったわけだ。彼は成功に導くための要素を巧みに組み合わせて使った。夜が浅いうちはソプラノ・サックスを手にして「マイ・フェイヴァリット・シングス」や「グリーンスリーヴス」を吹く。それが終わると、友人にこう言う。「次のセットはがらりと変える。皆が知らない曲ばかり演奏するんだ」。そしてソプラノは退場し、今度はテナー・サックスによる、狂おしいまでに情熱的なシンプルなブルースが延々と続いていく。



【ついでにフォト】

tp05042-065

2005年 香港國際龍舟邀請賽2005 尖沙咀東


(2021年7月19日掲載)