19650517-03

Song of Praise (John Coltrane) (9分51秒)



【この曲、この演奏】

 資料7によれば、コルトレーンのこの曲の演奏記録は3回あります。最初はアルバム「クレッセント」向けのセッション、1964年4月27日に演奏されたものです。しかしながらこの演奏は、今に至るまで発売されたことはありません。二度目は1965年5月7日のハーフノートでのライブ演奏で、これに関してはブートレグで聴くことができます。三度目はそのハーフノートから10日後の本セッションでの演奏となります。

 さて演奏ですが、もうこの時期までにはコルトレーン・バンドでお馴染みとなっていた、ギャリソンのベース独奏から始まります。4分近く続くそれは、儀式の準備のように流れていきます。

 準備整いコルトレーンの登場となり、カルテットで6分ほどの演奏を繰り広げます。まるでテナー・サックスでの祈祷のようなこの演奏には、バックの三人はリズムを取らずにコルトレーンに寄り添っていくものです。2分を過ぎたあたりからピークへと向かい始め、コルトレーンの神への崇拝を告げたこの演奏はクライマックスへと進んでいきます。

 初演奏から一年以上が経過し、黄金カルテットがピークを迎えた後に次のステージを模索し始めたこの時期だからこそ、コルトレーンはこの曲の演奏を完成できたのでしょう。




【エピソード、ジョー・ゴールドバーグの著書から その5】

 1965年に刊行されたジョー・ゴールドバーグの著書「Jazz Masters Of The Fifties」の中の、コルトレーンに関する思慮に富んだ文章の日本語訳が資料04にあるので、数回に分けて掲載する。


 コルトレーンのアプローチは、インド音楽同様に、マイルス・デイヴィスの影響が色濃い。マイルスは、コードではなくスケールに基づく”モーダル”なジャズに心を奪われていた。そのためマイルスはコルトレーンと、彼に比べれば重要性は低いが、より過激でメロディックなオーネト・コールマンの台頭を予見している。

 コールマンもまた、インド音楽に関心を持つミュージシャンだが、同時にコルトレーンにも影響を与えてきた。コルトレーンの飽くなき好奇心、そしてコードへの依存の脱却という方向性に鑑みれば、彼がコールマンの音楽に惹かれたのも当然である。伝統的なハーモニーをほぼ捨て去ったコールマンは、ハーモニーの深い受容に縛られるコルトレーンには不可能な一歩を踏み出していたからである。

 コルトレーンとコールマンは親友同士だ。ニューヨークで、互いが近くで演奏しているときなどは、セットの合間にクラブを抜け出して相手の演奏を聴きに行ったりもしていた。コルトレーンのコールマンへの興味が、一九六一年に、今は亡きエリック・ドルフィを”ちょっとおれのバンドで弾いてみなよ”と誘わせたことは想像にかたくない。コルトレーン本人は大喜びしたものの、ドルフィの加入を批判する声が嵐のように巻き起こり、ついに彼の周囲の人々は、ドルフィをやめさせろ、とコルトレーンを説得する。コルトレーンは、ドルフィの音楽的素養の高さをすこぶる尊重していた(ある晩、「今はスケールに興味があってね」というコルトレーンに、ドルフィも同じ考えですか、と訊いてみると、彼は誇らしげにこう答えた。「彼は何でもこなせるよ」)。そしてコルトレーンが探求の果てに新たな分野に踏み込んだとき、そのプレイはドルフィの演奏の名残りを感じさせるものになっていた。ドルフィはドルフィで「ジョンから学んだことはうまく説明出来ないな。彼が物事に取り組む姿勢を見ていると、本物のプロだと感じるよ」と述べた。



【ついでにフォト】

tp05058-096

2005年 香港 維多利亞港 遊艇航行


(2021年6月27日掲載)