19650328-03.04

One Down, One Up (John Coltrane)
                             (計 21分50秒)



【この曲、この演奏】

 「Nature Boy」の終わりのドラム・ロールの後を受け、ギャリソンのベース一本でこの「One Down, One Up」の演奏が始まります。

 さてこのコルトレーン作の曲ですが、コルトレーンの演奏記録は少ないものです。スタジオ録音はこのライブから2ヶ月後に行われます。ライブでは、少し違う曲名で1965年3月に演奏し、この1965年は3回の演奏記録があります。そしてその3回のうち、2回はその内容がインパルス!から発売されました。この日のは2002年になってからの発売でしたが、1965年7月2日のニューポート・ジャズ祭での演奏は、1966年に発売されました。

 ここでに演奏は7分のベース独奏の後、15分近くの演奏に続いていきます。まずはコルトレーンの怒号の演奏によるテーマが40秒、激しい儀式の様相となります。続くのはマッコイのソロが8分弱続くのですが、これは弱々しい演奏と感じます。ソロ終盤でブロック・コードの連発で体制挽回を図るマッコイですが、時すでに遅しとの間です。続くのはコルトレーンの5分に渡るソロですが、「Nature Boy」での演奏と比べると、少々集中力が弱いかなと感じます。

 実際の演奏は30分続けての演奏であり、2002年発売のCD箱物では切れ目なしでそれが聴けます。

 販売元の戦略には言いたいことが多いのですが、それでもこの30分を世に出してくれたことは、実にありがたいことでした。



【エピソード、ジョー・ゴールドバーグの著書から その3】

 1965年に刊行されたジョー・ゴールドバーグの著書「Jazz Masters Of The Fifties」の中の、コルトレーンに関する思慮に富んだ文章の日本語訳が資料04にあるので、数回に分けて掲載する。


 売れっ子サイドマンとしてレコーディングを掛け持ちしていた当時(一九五六〜一九五八年頃)を振り返って、コルトレーンは言う。「あの頃には戻りたくないね」。その頃、コルトレーンは金に困っていた。彼のキャリアにとって大きな転機となったのは、一九五七年の夏だろう。ちょうど自身のグループに不満を抱いていたマイルスの下を去り、セロニアス・モンクのバンドに加わった時期だ。

 (一九六〇年のはじめ頃までには)コルトレーンはインド音楽に傾倒していて、しばらくの間、インド人ミュージシャン、ラヴィ・シャンカールを研究したほどだった。彼はコルトレーンが言うような”抜け目ない音楽の観察者”ではないが、インド音楽に学んだことの多くは、自分でプレイしたいジャズに応用できることが分かった。インド音楽は、上昇時と下降時で音階が異なるインドのスケール、ラーガを基調とする。ラーガは無数にあり、それぞれが宗教や時刻に関連した、特定の意味を持っている。

 コルトレーンは「マイ・フェイヴァリット・シングス」がほぼラーガの様式でプレイできることに気づいた。彼がその次にソプラノで吹き込んだ「グリーンスリーヴス」もラーガの原理に沿ったプレイだが、そのパフォーマンスはひときわ異様な催眠効果をもたらした。

 コルトレーンはまた、インドの水ドラムにも興味を持っていた。このドラムはほかの楽器が即興演奏をする間、一定の音を鳴らし続けるドローン楽器だった。この効果を試そうと、コルトレーンはベーシを二人に増やした(低音がどっしりした音楽が好きなんだ)。のちにコルトレーンは、やはりインドの有名な演奏家であるアリ・アクバル・カーンが、「グリーンスリーヴス」を好んで演奏していると言う話を聞いて、大変喜んだという。「ぜひ、彼の演奏を聴いてみたいものだよ」と彼は無邪気に言った。「そうすれば、自分のプレイが正しいかどうかが分かる」

(改行はmaharl.com側の判断で行った)



【ついでにフォト】

tp10014-161

2010年 ペナン、マレーシア、タイプーサム


(2021年6月24日掲載)