19641210-03,04

Acknowledgement (take 4)
(John Coltrane)     
(8分58秒)



【この曲、この演奏】

 3回目のテイクは、いつものエルヴィンによる銅鑼の後、コルトレーンが吹き始めすぐシェップも吹き始めますが、このシェップはド外れの演奏となってしまいました。恐らくはこの二人は顔を見合わせ、苦笑いをしていたのではと想像します。1分14秒で演奏は中断となりました。

 そしてテイク4の演奏となりますが、ここでは先ずギャリソンによるテーマのリフでのリズムの取り方を、より軽やかなものに変えてきています。そしてシェップの演奏はより先鋭なものになっています。コルトレーンはこのテイクで、シェップとのぶつかり合いを望んだのかなと、感じました。終盤の二本のベースの演奏も仕掛けを変えてきており、粘り気を増した演奏となっています。

 このテイク4も感じ入ることが多い演奏ですが、作品として発表するには無理があると、スタジオの皆は感じていたことでしょう。



【エピソード、至上の愛、構想の出来上がり 資料05】

 一九五九〜一九六三年、ニューヨーク、クイーンズのメキシコ通りに住んでいた頃、コルトレーンは隣の地区にあったセント・アーバンズ会衆派教会(通称カウント・ベイシー教会)に毎週のように月曜日に行って、ジョンソン牧師と膝を突き合わせてスピリチュアルな話に夢中になった。ジョンソン牧師との会話、説法、ジャズ・ベスパース(夕べの祈りとジャズ演奏)によって幼少の記憶がよみがえり、それが「至上の愛」のコンセプトへ繋がっていく。

 一九六四年、まもなく彼岸(九月二十三日 = 三八歳の誕生日)になろうとしていた晩夏のことである。コルトレーンは「雲隠れ」した。といって、行方不明になったわけではない。ペンと紙とサックスを手にして、最小限の食料を持ち、購入したばかりの新居ディックスヒルズの二階、日当たりの良い大きな窓の書斎に閉じこもったのだ。何日かぶりに部屋を出てきたときの様子を、新妻アリスはこう回想する。

 彼の様子はまるで預言者モーゼがシナイ山から十戒を携えて降りてきたようで、素晴らしいものでした。二階から降りてきたときのジョンの表情は、喜びと不安が溢れた静かなものでした。私は、問いかけました。

 「ねえ、何があったのか全部教えてちょうだい。私たちは四、五日間も貴方に会っていなかったんですもの」

 「録音したい音楽全てができたのは初めてだ! 神の授かりものだよ、それも組曲としてね。必要な音楽すべてを初めから用意することができたんだ!」

 この「組曲」が、のちにジャズの金字塔のひとつになる「至上の愛」である。

(資料05より)



【ついでにフォト】

tp09025-105

2009年 みなとみらい、ラ・マシンによるクモ

(2021年6月17日掲載)