Naima (Take 2) (John Coltrane) (3分56秒)
【この曲、この演奏】
このセッションでネイマの二度目の演奏です。
その演奏ですが、テイク1より湿度を下げた感の演奏です。そして後テーマに入ってのリズムを強調していくあたりも、テイク1との違いといえます。これは映画での使われ方を考えて、もう一つのパターンをこの演奏に与えたのでしょう。結果的には映画で使われているのは、テイク1となりました。
とにかく、黄金カルテットでのスタジオ演奏でのネイマを聴けたこと、それも二つのテイクのネイマを聴けたことは、多くのコルトレーン・ファンにとって涙ものでありました。
【エピソード、バーバラ・ガードナーの記事 その18】
(1962年発表の文章)
”何か”を見つけるという野心を除いて、今のコルトレーンには何の計画もない。今のところ、彼には次の方向に進むための新しいアイディアもない。彼は今、手元にある素材を改良し、洗練させようとしている。彼の次のアルバムは、全て彼の自作曲で占められることになるだろう。ひょっとすると、再びアルトを手にすることがないとは言えない。ハーモニー的な成長を促すために。コルトレーンは今、一つだけ確信している。それは本人の意思とは関係なく、曲を書かなかければいけないということだ。
今しばらく、彼の音楽への献身は続きそうだ。それが周囲への無関心と破壊性を秘めていることは分かっている。自分の基準ではそれが足踏みだと分かっていても、彼は献身的であろうとする。世界の大部分が彼の作品に追いつけていないというのは、問題だ。彼が望むのは、遅れてやってくる栄光に浴することではない。コルトレーンは、自分は沈みゆく太陽を眺めているだけかもしれないと言う。だが、同時に、朝寝坊な者たちの称賛を糧にすることもできないのだと。
「私は自分にできることはすべてプレイしたいんだ」とコルトレーンは必死の形相で言う。「時にアーティストの創造性が枯れてしまうことがある。それが自分に起きては欲しいとは思わないが、それは誰にも分からない。だから私はできる限りプレイしたいんだ」
(資料04より)
【ついでにフォト】
2015年 みなとみらい
(2021年5月30日掲載)