19640601-01

Crescent (John Coltane)   (8分44秒)



【この曲、この演奏】

 アルバムのタイトルにもなったこの曲はコルトレーンのこの時期のウツな面を色濃く反映している。この曲のテーマには、大きな音の積み重ねが順次剥がされていき次から次へと新たな局面が見えては消えていくというように、聴き手の意識レヴェルと同調する不思議な魅力がある。(資料09)

 この曲への準備運動であった4月27日のセッションから1ヶ月と少しの間、おそらくはメンバー同士での演奏を含めての打ち合わせがあったのでしょう。ここでは崇高な世界観、自分を厳しく見つめる視線、この時点でのコルトレーンの演奏で描きたいものが、この演奏に集約されていると感じます。コルトレーンの世界、黄金カルテットでの演奏、その極めの瞬間がここにあります。


 この演奏について、資料03の記述を引用します。

 「クレッセント」で、コルトレーンはバラード奏法に切迫感を盛り込み、一段と成熟の度合いを深めたプレイを繰り広げる。彼はさまざまな工夫を凝らし、古い曲の影をちらつかせながら、生々しい、肉声のようなサウンドを生み出している。最初にテーマを一分半ほど緩やかに演奏され、インプロヴィゼーションのパートに入るとミディアム・テンポになり、演奏はしだいに激しく、鋭さを増していく。三分が過ぎたあたりで、コルトレーンは荒々しい、叫び声のようなトーンを発するようになる。四分を超えたところでタイナーが弾くのを止め、コルトレーンは短い断片的なフレーズを吹き始める。そして五分が過ぎると、彼の演奏はより簡潔になり、力強さを帯びたものになる。

 彼は過去に演奏したものを足掛かりにしてプレイを組み立てる。「クレッセント」でのインプロヴィゼーションには何度か「マイルス・モード」のテーマが現れる。「クレッセント」自体にはかなり変わったコード・チェンジが用いられている。これから導き出されるのは、ミュージシャンは自らの意思をいかようにも音楽に投影できるという真理である。ハーモニーによる拘束や複雑な構造は単純さや直截さと共存できるし、リリシズムは過激さと共存できるのだ。「クレッセント」は得意な曲である。バラードなのに熱気をはらんでいるし、エネルギッシュな音楽なのにクールな表情をたたえている。曲の構成は十二小節形式だがブルースではない。それまで作られたどんなジャズ・ソングとも異なっている。



【エピソード、本セッション】

 4月27日に続いての、A(S)-66 「Crescent」向けのセッションである。この日に演奏されたのは、4月27日に演奏されたが本テイク採用とはならなかった二曲である。このことを考えた場合、この6月1日のセッションが当初から考えられていたのかは、不確かとなる。このセッションが急遽用意されたとの考えもある。もう一方で、4月27日の重要曲「Crescent」の演奏が明らかな没テイクでありながら、1回だけの演奏であったことを考えると、二度目のセッションがあるのだから、との考えがあったとも思われる。私としては後者かなと、思っている。

 この1964年、このセッションの次のスタジオ録音は、12月9日の「至上の愛」セッションであると、2018年まではなっていた。




【ついでにフォト】

tp10011-149

2010年 タイプーサム、ペナン、マレーシア

(2021年5月21日掲載)