Alabama (John Coltrane) (5分11秒)
【この曲、この演奏】
コルトレーン作のこの曲の演奏記録は本セッション以外に、1963年大晦日の夜8時からリンカーン・センターでのコンサートで演奏さています。このコンサートにはドルフィー入りのコルトレーン・バンド、ジャズ・メッセンジャーズ、そしてセシル・テイラーのジャズ・ユニットが出演していますが、その音源は今に至るまで世に出ておりません。(資料07)
この曲は5つのテイクを録音し、その中から不完全なテイク4にテイク5を繋ぎ合わせて、マスターとしたとのことです。そのマスターは1964年1月に発売されたA(S)-50「Live At Birdland」に収録されましたが、それ以降に発売された編集アルバムにテイク5だけのものがあるとのことです。(資料07)
アラバマ事件で犠牲になった少女へ、そして奴隷制以来の数多の虐げられた方々への、コルトレーンとメンバーの思いが、静かに、しかし内面に燃え上がる怒りを従えて流れていく演奏です。この演奏は、この後のコルトレーンの演奏と重なっていきます。
【エピソード、アラバマ事件とレコーディング】
資料05から引用する。
(1963年)九月一五日、アラバマ州バーミンガムの一六丁目バプティスト教会で日曜礼拝中、KKK(白人至上主義者)により一六丁目沿いの壁際に仕掛けられた一九個のダイナマイトが爆発し、教会にいた何の罪も無い四人の黒人女性が犠牲となった痛ましい事件である。当時は鉄のカーテンの向こう側ソビエト連邦や、共産圏である中国の新聞まで大きく取り上げるほど、全世界を震撼させた卑劣な事件である。
事件に先立つ同年四月から五月にかけてアラバマ州バーミンガムでは、白人専用レストランなどへのシットイン、黒人を雇わない白人オーナー商店のボイコット運動以外に、子供たちも平等を訴えた行進を連日行っていた。そこへ警察は獰猛なシェパード犬を仕掛け、消防隊は高圧ホースの水で子供たちを含む群衆をなぎ倒す。メディアはこぞってこの卑劣な白人や公僕たちの行動を報道し、世間は黒人の権利を認める公民権法制定へ大きく傾いていた。
これらのニュースを知ってコルトレーンは急きょ、一一月一八日にヴァン・ゲルダー・スタジオに飛び込み、「アラバマ」と「ユア・レディ」という二曲を録音した。「アラバマ」は文字通り、教会爆破事件を筆頭に数多の犠牲者を出し続けているアラバマに哀悼の意を捧げるための曲である。しかも「ちょうど少女たちと私(当時一三歳)が同じ年代だったから父(コルトレーン)も余計にその思いが強かったのだと思うわ」(サイーダ談)。マッコイ・タイナーのトレモロがゴスペル・フィーリングを醸し出すなか、コルトレーンが噛みしめるように一音一音荘厳な響きを奏でる、悲しみをたたえたレクイエム(鎮魂歌)である。
【ついでにフォト】
2008年 みなとみらい
(2021年5月14日掲載)