Afro Blue (Mongo Santamaria)
(8分50秒)
【この曲、この演奏】
1963年10月8日にバードランドでこの曲が演奏され、1964年1月発売のアルバム「Coltrane live at Birdland」に収録されました。1963年から1965年にかけてコルトレーンがライブで度々この曲を取り上げていったので、コルトレーン・ファンにとってはライブ演奏曲としてお馴染みなものです。しかしこの1963年10月25日にコペンハーゲンに集まった観衆は、コルトレーンが演奏するこの曲を初めて聴いたのでしょう。
コルトレーンはソプラノ・サックスでこのテーマを演奏し、それは軽快でありながら深淵な気持ちにもさせる、1分弱のものです。続いてマッコイが3分ほどのソロを行なっていますが、演奏に迷いがあるのかなと、私は感じました。それも終盤にはエルヴィンの力が加わり、激しいピアノへとなっていきました。
そしてコルトレーンがソプラノでクロージングまで5分弱演奏していきます。感じていることと表現の仕方に焦りをコルトレーン自身も感じていたのではと思う、アドリブ・パートです。
【エピソード、1963年のミシェル・デロームのインタヴュー記事 その7】
デローム
年を追うごとに、無調音楽から近づいているとは思いませんか?
コルトレーン
無調音楽から? 無調音楽に近づいている、ではなくて?
デローム
無調音楽に近づいている、です。すみません。
コルトレーン
謝る必要はないよ、私のフランス語なんてひどいものさ。一言も話せないんだ。さっぱりだよ(一同笑う)。君は運がいい。
無調音楽の話に戻ると、自分ではよく分からないな。君のいう通りかもしれない。たぶん、そうだろう。ただ、それを無調音楽と呼んでもいいものかどうか、自分でも分からないんだ。それが今後どうなるのかも分かっていないわけだから。ただ、自分の音楽は今後、無調ではなく、モーダルなものに接近していくと思う。確信はないがね。おそらくその二つは互いに接近したり、重なり合ったりして、「これはこれで、あれはあれ」と言い切れるようなものにはならないんじゃないかな。似て非なるものというか。結局、どんな曲も、その曲の本質に応じて、ある種の解釈を受けざるを得ないんだ。それこそ私がやろうとしていることであって、自分自身を・・・、自分自身に全てを委ねたい。曲が求めていると自分で感じるものだけに。
「ジャズ・オット」誌、一九六三年一二月号(資料04より)
【ついでにフォト】
2015年 みなとみらい、横浜
(2022年11月22日掲載)