19630610-05

Impressions (John Coltrane)  (13分25秒)



【この曲、この演奏】

 コルトレーンがライブで大切に演奏し続けて来たこの曲は、1963年6月のショウボートでも演奏されました。

 ここでの演奏ですが、資料07によれば、ベース・ソロがカットされているとのことです。

 まずはコルトレーンがソプラノサックスでテーマを吹き、カルテットでの熱烈なテーマ演奏となり、すぐにピアノ・ソロとなります。この12分を超えるの演奏はピアノ・ソロですが、熾烈なトリオ演奏と言えます。このトリオ演奏の最後にテーマらしきフレーズが演奏され、ベース・ソロとなっていきます。それは16秒で、明らかに収録中断あるいはハサミが入ったと、分かるものです。

 最後にコルトレーンが今度はテナーサックスでテーマを演奏して、終わりとなります。



【エピソード、1963年5月 シカゴのマッキーズ出演について その3】

古風な曲

 コルトレーンが時折、古風な四ビートのナンバーを挿み込むのは、一種の折衷案だろう。譲歩と言ってもいい。それでも彼には、金を払って彼を観に来たヒップ気取りの観衆に対して、自分は人と比べて少しだけヒップと思わせてやる義務がある。

 ウェブスターの辞書を引いてみたが、コルトレーンが言わんとすることを的確に伝える形容詞は見つからない。熱狂的、過激、情熱的、熾烈といった言葉は、コルトレーンのプレイという文脈においてはどれも収まりが悪い。

 ベル電話会社同様、この英雄も来るべき時代に備えているのであろう。(中略)ジョン・コルトレーンを生で聴くことは、一九八四年の世界(引用元通りに記載)を垣間見ることだ。複雑に絡み合う、訓戒的なコルトレーンのフレーズには、地獄に落ちると知った罪人の叫びにも似た響きがある。

 どれほど偉大であれ、コルトレーンも一人だけでは演奏できない。アイディアを同じくする他のミュージシャンたちが必要だ。例えばドラムのエルヴィン・ジョーンズのような。

 ジョーンズはもう二年以上もジョンのカルテットで演奏している。たまに謎の理由で姿を消すこともあるが、それでも必ず戻ってくる。

 ジョーンズは、コルトレーン・カルテットの演奏の屋台骨であるだけでなく、時に驚くほど複雑で、リズム的冒険に満ちたドラム・ソロを構成する才覚も兼ね備えている。しかも、彼は決してフォームを見失わない。世にあふれるドラム・ソロの多くからは、こうしたフォームが欠け落ちてしまっている。

「シカゴ・デイリー・ディフェンダー」紙、一九六三年五月十六日版、16ページに掲載(資料04より)



【ついでにフォト】

tp05037-079

2005年 香港 


(2023年2月18日掲載)