19621113-18

Say It (Over And Over Again)
(F.Loeser - J.McHugh)  
(4分17秒)



【この曲、この演奏】

 コルトレーンのこのセッションでの演奏で、人々の心に残るようになったバラッドです。コルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです(資料07)

 さて演奏ですが、コルトレーンはバラードを愛する人なんだと、誰もが実感する内容です。美しく、悲しく、人の心のうちを、アドリブは廃してメロディを丁寧に演奏する中で表現しています。

 名作「バラッズ」セッションの締めに演奏されたこの曲、そして名作「バラッズ」の冒頭に収録されたこの演奏、ジャズファンならば誰でも愛している演奏です。



【エピソード、マウスピース不調説は真なり? その8 最後に】

 コルトレーンはマウスピースが不調で1962年秋口から翌春にかけてスローな三部作を作った、と当たり前のように語られてきた件について、まとめたい。

 確かにコルトレーンのインタヴューが、この話の出発点であった。しかし各資料からすると、コルトレーンは常にマウスピースに悩まされていた。これは悩まされるというより、より良いマウスピースを求めていた、というべきであろう。その中で先のインタヴュー全体を見てみると、スローな三部作を作ったことへの照れから、あの発言に繋がった気がする。

 「エリントン&コルトレーン」制作に関しては、プロデューサーのボブ・シールの以前からの構想であったことは、明確なことである。

 そしてボブ・シールは、大手の新興ジャズ・レーベルを大きく発展させるには、その中心人物であるコルトレーンにヒット作が必要であった。

 一方で常に新たな扉を開けていっているコルトレーンには、常に評論家からの悪評が付き纏った。そしてコルトレーンはこれに悩んでいた。そして(明確な情報はないが)コルトレーンは自ら求めるレコーディングを行っていくためには、数字を残す必要があることを、誰よりも知っていた。

 コルトレーンはプレスティッジ時代の前から、バラードに魅せられていた。そしてコルトレーンには、バラードに特化した作品を作ればヒットにつながる自信があったと思う。それならば、あの評論家たちにも理解できると、考えたのかもしれない。

 さらに言うと、この三部作制作期間である1962年9月18日から1963年3月7日の間にも、コルトレーンはスピードのあるテナーサックスの演奏も行っていた。

 私は「マウスピース不調説」について各資料を検証してきて、識者たちは無視している「マウスピース不調説」は事実ではなく、スローな三部作に至った理由は上記のことだと判断する。



【ついでにフォト】

tp13007-020

2013年 ペナン島

(2021年3月25日掲載)