Say It (Over And Over Again)
(F.Loeser - J.McHugh) (4分17秒)
【この曲、この演奏】
コルトレーンのこのセッションでの演奏で、人々の心に残るようになったバラッドです。コルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです(資料07)
さて演奏ですが、コルトレーンはバラードを愛する人なんだと、誰もが実感する内容です。美しく、悲しく、人の心のうちを、アドリブは廃してメロディを丁寧に演奏する中で表現しています。
名作「バラッズ」セッションの締めに演奏されたこの曲、そして名作「バラッズ」の冒頭に収録されたこの演奏、ジャズファンならば誰でも愛している演奏です。
【エピソード、マウスピース不調説は真なり? その8 最後に】
コルトレーンはマウスピースが不調で1962年秋口から翌春にかけてスローな三部作を作った、と当たり前のように語られてきた件について、まとめたい。
確かにコルトレーンのインタヴューが、この話の出発点であった。しかし各資料からすると、コルトレーンは常にマウスピースに悩まされていた。これは悩まされるというより、より良いマウスピースを求めていた、というべきであろう。その中で先のインタヴュー全体を見てみると、スローな三部作を作ったことへの照れから、あの発言に繋がった気がする。
「エリントン&コルトレーン」制作に関しては、プロデューサーのボブ・シールの以前からの構想であったことは、明確なことである。
そしてボブ・シールは、大手の新興ジャズ・レーベルを大きく発展させるには、その中心人物であるコルトレーンにヒット作が必要であった。
一方で常に新たな扉を開けていっているコルトレーンには、常に評論家からの悪評が付き纏った。そしてコルトレーンはこれに悩んでいた。そして(明確な情報はないが)コルトレーンは自ら求めるレコーディングを行っていくためには、数字を残す必要があることを、誰よりも知っていた。
コルトレーンはプレスティッジ時代の前から、バラードに魅せられていた。そしてコルトレーンには、バラードに特化した作品を作ればヒットにつながる自信があったと思う。それならば、あの評論家たちにも理解できると、考えたのかもしれない。
さらに言うと、この三部作制作期間である1962年9月18日から1963年3月7日の間にも、コルトレーンはスピードのあるテナーサックスの演奏も行っていた。
私は「マウスピース不調説」について各資料を検証してきて、識者たちは無視している「マウスピース不調説」は事実ではなく、スローな三部作に至った理由は上記のことだと判断する。
【ついでにフォト】
2013年 ペナン島
(2021年3月25日掲載)