19620918-02

What's New
(Bob Haggart - Johnny Burke)
(3分46秒)



【この曲、この演奏】

 多くのミュージシャンが取り上げ続けているこの曲は、当初はインスト・ナンバーとして作られました。1938年10月に初録音された際には、「アイム・フリー」との曲名でした。その後に名作詞家ジョニー・バークによって詩がつけられ、曲名が「ホワッツ・ニュー」となり、有名スタンダードになっていきました。(資料14を参考)

 コルトレーンがこの曲を取り上げたのは、スタジオでは本セッションだけですが、ライブでは二日間の演奏記録が、資料07にあります。1960年3月28日に西独で行われたコンサートで、コルトレーンは2回この曲を演奏しています。最初は、スタン・ゲッツとオスカー・ピーターソンといったスターとの演奏、2度目はコルトレーンが頭になりケリー、チェンバース、そしてコブとのカルテットでのことでした。この二つの演奏は、私家録画が存在するとのことです。そして1962年12月12日にLAで行われた「The Greatest Jazz Concert」にコルトレーンも参加し、この曲を演奏したとのことですが、録音は残っていないとのことです。

 さて演奏ですが、マッコイのピアノでの美しい導入に続き、コルトレーンのテナーサックスが中心よなって、息のあったカルテットでのこの曲の魅力を直球で伝える演奏を行っています。メロディを吹くコルトレーン、飾り付けは一切抜きにしての演奏、それでいて幾つもの情景が目の前に広がり、その深みを感じながら聴き終える演奏でした。



【エピソード、マウスピース不調説は真なり? その1】

 「マウスピースの調子が悪く、バラッズ、エリントン&、&ハートマンのバラッド系三作の録音となった」

 1980年代に入りジャズを聴き始め、最初のアイドルがコルトレーンであった私は、すぐにこの言葉が頭に入っていた。しかし聴き始めから数年が経過し、求めるコルトレーン作品がブート系になっていくと、この定説に「違うよね」と思うようになった。この三作制作の中間時期に行われた黄金カルテット欧州ツアーでは、アップテンポの曲を、激しいタッチの演奏を、コルトレーンはテナー・サックスで行っていたのだ。

 本来ならばこの事実をもって、少なくとも自分の中だけでは定説を完全否定すべきなのだが、それをなかなか出来ないことがあった。

 そう多くないコルトレーンのインタビューの中で、重要なものの一つが、1966年4月18日にフランク・コフスキーによって行われた、車中での1時間のインタビューである。


コフスキー
 デューク・エリントンとの共演アルバムを出し、『バラード』が発売され、ジョニー・ハートマンともアルバムを吹き込みました。


コルトレーン
 ああ。


コフスキー
 一連のアルバムは、誰のアイディアによるものですか? あなた自身のものですか、それともインパルスの方針ですか?


コルトレーン
 実を言うと、当時はちょっと問題を抱えていてね。情けない話だが、マウスピースが気に入らなくって(笑)、それでいろいろいじくっているうちに、具合が良くなるどころか壊してしまった。あれにはがっくりきたね。というのも、一口にプレイといっても千差万別で、例えば当時練習していた速いパッセージなどは、マウスピースが壊れたせいで、吹けなくなってしまったんだ。だから手綱を抑えるしかなかった(笑)。


 このやりとりを含めたこのインタビューは「ジャズ・アンド・ポップ」誌1967年9月号に掲載され、コフスキーの著書「Black Nationalism And The Revolution In Music(音楽における黒人民族主義と革命)」に再掲され1970年に発行された。この項でで引用した上記のインタビューは資料04にあるもので、録音テープから新たに原稿を書き起こしたものである。


 あくまで私が考えであるが、マウスピース不調説はバラッド系三作を続けて制作したことへのきっかけの一つだった可能性もある、程度のものであろう。これからこのコーナーで数回に分けてその理由を書いていく。


 インターネットの時代に入ると、根拠のない説が事実として拡散していくことが多く、「1962年の夏から翌春にかけてマウスピースが不調で激しい演奏ができなくなった」なるコルトレーンに関するものも、その一つである。笑い飛ばせばよいものだが、これについても触れていきたい。



【ついでにフォト】

tp05061-011

2005年 香港

(2021年2月28日掲載)