19610523-12

Song Of The Underground Railroad
(Traditional)    
(6分44秒)


【この曲、この演奏】

 この曲名についての解説が、資料05にある。

 曲名にある「アンダーグランド・レイルロード」とは地下鉄のことではなく、白人のクエーカー教徒らを中心にした地下組織が、奴隷解放のために定めた「秘密のルート」さす。一九世紀、劣悪な衣食住環境と過酷な労働とに耐えかね、多くの黒人が南部から北部の街へ逃れていった。彼らの逃亡を助ける地下組織は各地に拠点をもっており、それを結ぶルートは「アンダーグランド・レイルロード」と呼ばれていた。

 インパルスのセッション記録を見ると、この曲は当初、「フォロウ・ザ・ドリンキン・ゴード(北斗七星をたどれ)」というタイトルにする予定であった。逃亡する黒人たちは、夜陰にまぎれ、北斗七星の輝きを頼りに北へ向かった。「北斗七星をたどれ」という曲名は、そのことを暗示している。

 嗅覚に優れた犬を使う追ってを撹乱するため、逃亡奴隷は胡椒を撒き、小川やクリークの中をたどって匂いを分断した。捕らえられれば引き戻され、見せしめのリンチが待っている。運良く逃げとおせても、その首には懸賞金がかけられ、生かすも殺すも、これを捕えた者の裁量に任された。たどり着いたオハイオ川の北岸シンシナティ、リプリー、ポーツマスといった街には、逃れてきた黒人たちの受け入れ拠点があったが、一八五〇年に強化された「逃亡奴隷法」以降は、さらに北のカナダへ逃れなくてはならなくなった。南部に生まれ、北部フィラデルフィアを第二の故郷とするコルトレーンは、学校だけでなく、牧師であった祖父からも学んで、そうした奴隷の歴史、すなわち自分のルーツを熟知していた。


 さて演奏ですが、重量感あるアップテンポでの演奏になっており、コルトレーンのテナー・サックスの迫力を味わえるものです。そこにエルヴィンとマッコイの執念のような演奏、さらに効果的なブラスのアレンジが加わっています。なおこの曲のアレンジはコルトレーンです。

 資料05にある歴史的背景を日本人に理解しろとは無理な話ですが、黒人の思いのごく僅かは想像できるものです。その上で本演奏を聴き直すと、この演奏のスピード感は、何とか逃げ出したいとの奴隷に思い、なんとか逃げ切りたいとの黒人の祈りが込められているようです。

 本セッションだけのこの曲の演奏記録となる本演奏は、1974年にAS9273(Africa Brass Sessions, Vol.2)として世に出ました。



【エピソード、インパルスとの契約】

資料01

 一九六一年、ジョン・コルトレーンはインパルス・レコード社と最初の契約を結んだ。契約は、ショー・エージェンシー、ハロルド・ラヴェット、インパルスの社長ラリー・ニュートン、それにもちろんコルトレーンの四者が、多角的な協議を重ねた結果、締結された。コルトレーンのアトランティックとの契約は切れる直前だったし、彼はもう再契約はしないつもりでいたのだ。そしてインパルスとの契約の手続きが完了した時、ジョン・コルトレーンは、ついにマイルス・デイヴィスに次ぐ(黒人)ジャズ界の最高額レコーディング・アーティストとなったのである。

 それは一年契約で、一年毎の随意契約が二回ついていた。だがこれは、トレーンのうなぎのぼりの人気上昇を考えれば、実質的には三年契約と同じことだった。そして一年に最低二枚のアルバムを作ればよかったのだ。契約の前金は、総額五万ドルで、初年度に一万ドル、そして二年目と三年目に各二万ドルずつ支払うという条件だった。しかし一時に多額の前金が収入となると、かなり税金にくわれてしまうのでそれを防ぐため、コルトレーンは一年に一万ドル、それも四回に分けて一回二千五〇〇ドルずつ受け取っていた。いずれにせよ、残金は三年の契約が終了した時点で彼のふところに入ってくるのだ。

 コルトレーンは契約の中に、グラフィック・デザイン、レイアウト、パッケージ等、レコード・アルバムそのものの制作に目を通し、点検するという一項を入れていた。パッケージが特にコルトレーンの興味をそそった。


次に資料13にある契約に話を抜粋してみる。

 インパルスのプロデューサーのクリード・テイラー については別に詳しく述べるとして、コルトレーンのインパルスとの契約は、テイラーが1960年秋のコルトレーンのライブに触発されてコルトレーンにかけた電話をかけ、インパルスでレコードを作る気はないかと訊いたことが始まりだった。

 当初インパルス側の考えは、アトランティックからのコルトレーンの「貸し出し」であった。コルトレーンがプレスティッジ在籍時にブルーノートに貸し出され、つまり単発契約を結んで「ブルー・トレイン」を制作したのと同じことであった。

 しかしコルトレーンが求めてきたのは、特別待遇でのインパルスとの専属契約であった。このことについて、ビル・カプランは次のように語っている。

 アトランティックで傑作をいくつも世に出した今、特別扱いされてもいいだろうとコルトレーンは思っていたのではないかな。代理人を務めるショウ・エージェンシーはそう感じていた。レコードの売上にしても人気にしても、レイ・チャールズほどではなかったのだけれど、コルトレーン自身はレイの待遇と同じような特別待遇が自分にも適用されるべきだと思っていたんだ。

 それでジョンがやってきたんだ。彼の希望する契約がどんなものかはわかっていた。レイと同じ移籍金を要求されることはなく、マスターテープについても、会社が所有するのが当然とされていた。だけど、契約内容はレイのときの骨子を下敷きに作られたんだ。

 クリード・テイラー は「こちらはただコルトレーンに来て欲しかった。それが全てさ」と語っており、インパルス側は初年度は前金として1万ドル、これに2年のオプションがつき、年間2万まで上がることになっていた。

 カプランはさらにこう語っている。

 こちらはコルトレーンをアトランティック から引き抜いたわけじゃない。彼の方からやってきたんだ。



【ついでにフォト】

tp07026-109

2007年、みなとみらい

(2020年11月29日掲載)