19580711-02

Invitation (Kaper - Webstor)  (10分22秒)



【この曲、この演奏】

 1952年にポーランド出身の作曲家ブロニスロウ・ケイパーが、同名映画の主題歌として書いた幻想的なメロディーを持つナンバーで、ミルト・ジャクソンのリバーサイド盤での演奏が有名な曲です。(資料14)

 コルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです。

 ミルト・ジャクソンがこの曲を取り上げて有名曲となったのは1962年なので、このセッションで取り上げたのは、ガーランドの“メモ帳”から引っ張り出してのことなのでしょう。

 さて演奏ですが、スロー・テンポで流れる世界は、魂が浮遊しているような気分を味わえる演奏です。ここでのコルトレーンは、この後のアトランティック時代を飛び越して、インパルス期の演奏を感じさせるものがあります。このコルトレーン特集のプレスティッジ編はこの曲で122曲目となりますが、このような後年のコルトレーンの姿を感じさせる演奏は、これが最初と言えるでしょう。

 コルトレーンの一人舞台での10分間、ほんの少し出番をもらったハーデンのおっかなびっくりの演奏も微笑ましく、ガーランドのコルトレーンの演奏を弾き立たせるピアノに感心し、じっくりと聴き入ってしまう演奏内容です。



【エピソード、ウィルバー・ハーデン】

 資料06によればコルトレーンとハーデンの共演は、4回ある。その最後は本セッションであるが、それまでの3回は1958年のサボイでのセッションで、名義上のリーダーはハーデンである。それは、3月13日、5月13日、そして6月24日である。そしてこの3回のセッションは、「Mainstream 1958」「Tanganyika Strut」「Jazz Way Out」という3枚のLPで世に出た。

 さてハーデンの経歴であるが、「新・世界ジャズ人名辞典」には掲載されていないので、ウィキペディアから引用する。

 1924年にアラバマ州バーミンガムに生まれたハーデンは、1957年から1958年にかけてサボイに4枚のリーダー作を残し、またユセフ・ラティーフ、コルトレーンの作品に参加した。1958年後半にハーデンは重病に陥り4年間の闘病生活を送った。その間にごく短期間、カーティス・フラーのグループで演奏した。1969年にNYで亡くなった。

 資料11でのハーデン評は次のとおりである。

 ハーデンは感性のあるミュージシャンだが、リー・モーガンのような個性ある音も、またこれと言って光るスロー・ナンバーもないことが、彼の限界をおのずと物語っていると言えるかもしれない。バラードはどれも“非常に”ゆっくりと演じられるが、スロー・バラードで、急ぐでなくもたれるでなく前進運動が維持できるのは、確かなタイム感覚をもったプレイヤーだけなのだと認識させられる。

 コルトレーンはプレスティッジ時代にサヴォイのセッションに何度か参加しているが、ハーデンのセッションに3回参加とは多いものだ。この辺りの事情は、各資料には見当たらないし、またコルトレーンとハーデンは同郷とは言えない。

 ミュージシャンとしては短命で終わったハーデンであるが、本来ならばサイド参加でのレコーディング歴の実力ながら何らかの縁でサヴォイでリーダー・レコーディングに恵まれ、そこにコルトレーンが参加したということで、そのリーダー作が未だに発売されているハーデン。ミュージシャンとして幸せだったのか、それとも病で短命で終わり不幸だったのかは、何とも言えない。



【ついでにフォト】

tp10020-141

2010年、ペナン


(2020年2月8日掲載)