19580326-04

Little Melonae (Jackie McLean) (14分5秒)



【この曲、この演奏】

 マクリーン作のこの曲は、マクリーンが生涯で何度も取り上げた曲です。またネットからの情報によれば、マクリーンが奥さんに捧げた曲とのことです。

 コルトレーンはこの曲を3回というか、3つのセッションで演奏しています。他の2つのセッションは、マイルス・バンドでのものです。最初は1955年10月27日の、「ラウンド・ミッドナイト」でのものです。実質上のプロとして、ソリストとして活動し始めた時期のコルトレーンの演奏です。2つ目は、1958年3月4日の「マイルストーンズ」での演奏です。この際には6テイク目で8分程の演奏に漕ぎ着けていますが、正規発売はされませんでした。

 それから3週間後の演奏が、本セッションでのものです。ダメ出し続きの際の3人が参加している本セッションですので、想像で言うならば「マイルス抜きならこうやるよ」との思いがここでの演奏にあったことでしょう。

 資料11には「変わったメロディとあいまいなハーモニーのAセクションを持つ曲だ」とあり、資料09には「モンクのナンバーに似たシステマティックな曲風である」と書かれています。何故にマクリーンはそんな曲を奥さんに捧げたのか不思議ですが、不思議さ漂うこの曲を聴いていると、夫婦という関係の不思議さを考え込んでしまいます。

 さて演奏ですが、バンド一丸で男女の真実は何かを追い求めている演奏に聴こえてしまうのは、私の妙な先入観によるものでしょう。でも何かを追い求めるかのようなコルトレーンの演奏には、凄みさえ感じてしまいます。練習熱心なコルトレーンがここまで得てきた奏法とハーモニー感覚を、メンバーの熱演とともに味わえる、濃い演奏となっています。



【エピソード、A.ブルームのインタヴュー、1958/6/15、その6】

(JC=ジョン・コルトレーン、AB=オーガスト・ブルーム)(資料04)


AB こうした宗教については、他のミュージシャンたちも結構こんがらがっているんかな? 彼らも君と同じように宗教に興味があって、それが一体何なのか、もうほんの少しだけ理解しようとしている? そういうミュージシャンは大勢と思うかい? ミュージシャン仲間とそのことについて話したことは?

JC そうだな・・・・・ミュージシャンの多くが真実に興味を持っているとは思う。というのも、ミュージシャンにとってそれは当たり前のことなんだ。この“音楽”ってのは、それ自体が真実だから。楽器を演奏して何かを主張する場合、まあ、音楽的主張というか、そういう主張には説得力がある。それは音楽の中に真実があるからだ。逆に、インチキな音を演奏すれば、その音楽はインチキだ(笑)。どのミュージシャンも、なるべく完璧に近づこうと努力している。だからこそ音は真実になる。だから、そういうものを、真実を演奏するには、できるだけ真実と共に生きなきゃならない。これが宗教なら、例えば信心深い男は善を追い求め、まっとうな人生を送ろうとするはずだ。それを敬虔と呼ぶかどうかは本人の問題で、本人は「ただまっとうに生きているだけだ」なんていうかもしれない。それでも、敬虔な人は彼を見てこう言う。「あの男は敬虔な男だ・・・実にまっとうに生きている」と。だからまあ、宗教について考えているミュージシャンは大勢いるよ。そのことについて何人とも話したことがある。

AB その中で、特に印象に残っている人はいる? 他のミュージシャンよりも真実に近いところで物事を見てると感じたミュージシャンは? この点について優れた見解を持っていると、感銘を受けたミュージシャンは?

JC すぐには思いつかいな。特に思い浮かべない。大勢と話したが、みんな似たりよったりだ。誰もが探究の旅を続けているというかね。私の知っているミュージシャンは皆、何らかの道を探している。そういったことを話したがらないミュージシャンもいたが、彼らはどこか自身たっぷりに見えた。探し物を見つけたのかもしれない・・・・・よく分からないけど(笑)。

AB 突き詰めて考えていったら、きりがない問題だからね。

JC ああ、だから私はそこではまっているんだ。しばらくそのことを忘れたほうがいいのかもしれない。



【ついでにフォト】

tp10010-074

2010年、ペナン、タイプーサム


(2020年2月2日掲載)