I Want To Talk About You
(Billy Eckstine) (10分54秒)
【この曲、この演奏】
この曲について資料14から。
1943年にアール・ハインズ楽団を退き、その翌年、錚々たるメンバーを擁した念願のビッグ・バンドを結成してビバップへの意欲を燃やしたエクスタインが、いわばバンド経営の必要上、自らのディープなバリトン・ボイスの魅力を引き立たせるべく書き下ろした名バラード。
コルトレーンはこの曲を生涯のパートナーにしていきます。資料06にある記録だけでも、本セッションを含めて計20回のこの曲の演奏記録があります。半数以上が黄金カルテットでのものですが、ドルフィー入りでも4回の演奏記録があります。それらの半数ほどは何らかの形で世に出ており、一般人もその演奏に親しめるものになっています。
正式発売されたものは、本演奏を入れて3回あります。正式2度目は、1963年7月7日のニューポートでのライブです。黄金カルテット時代なのですが、ここでは諸般の事情によりドラムはロイ・ヘインズです。正式3度目は1963年10月8日のバードランドでのライブであり、こちらは黄金カルテットとなります。
さて演奏についてですが、資料11に次の記述があります。
「コルトレーンはこのエクスタインの曲が大層気に入っており、60年代の半ばまで自分のレパートリーに入れ、カデンツァを息を飲むほどに延々引き延ばして演奏した。ここでは、合奏調のEフラット(オリジナルのDフラットを1音上げ)にキーを定めているため、サックスの最高音からメロディを始めなくてはならないが、果たして彼は、アルティッシモの音域に半音踏み込んで演奏している。見流してはならないのが、テナー・ソロの最初の16小節の背後で見事に緊張感を高めていくガーランドのトレモロだ」
さすがはプロのコメントは違うと感心しながら、わたしは「息を飲む」と「緊張感を高めていく」との11分を、至高の幸せと感じました。
【エピソード、1956年6月 NYへ転居】
コルトレーンと家族は1956年6月、ニューヨークに転居した。ちゃんとした家が見つかるまでのあいだ、ブルックリンのポール・チェンバースのアパートに厄介になった。彼らが移住を決意したわけは、マイルスをはじめ多数のミュージシャンがニューヨークに住んでいたし、レコード会社、クラブ、新聞社、放送局がそこに集中していたという、まことに論理的かつ必要性にもとづいていた。
コルトレーンがまだ駆け出しの頃なら、フィラデルフィアもそんなに遠い距離ではなかったのだが、マイルスのところで名前が売れ始めたいまとなっては、その音楽活動を行っている場所に住むのが自然というわけである。(資料1)
【ついでにフォト】
2002年、ペナン、マレーシア
(2019年12月29日掲載)