19580110-03

Nakatini Serenade (Calvin Massey)
(11分3秒)



【この曲、この演奏】

 カルヴィン・マッセイ作のこの曲は、リー・モーガンがBN4034で「Nakatini Suite」という曲名で取り上げております。コルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。

 ネットで調べますと「Nakatini」はタガログ語で、「これだ」との意味のようです。ただしセレナーデは「恋人や女性を称えるために演奏される楽曲、あるいはそのような情景」なので、この二つを合わせると意味不明になります。「君が全てだ」との意味合いなのでしょうか。

 さて演奏ですが、アフロ・ラテンの印象に残るテーマの後に、辛口豪快スウィングのコルトレーンのソロが続きます。恋人を称えるどころか、恋人に本音をぶつけていくようなコルトレーンのソロを聞くと、彼の人柄を感じる思いです。



【エピソード、ネイマ、1954年】

 ネイマは1926年1月2日生まれなので、コルトレーンより8ヶ月と少しの年上となる。日本流に言えば、同じ年生まれだが学年は一つ上である。またネイマは未婚だったが、5歳の娘アントニア(トニ、サイーダとも呼ばれた)がいた。また実家で兄夫婦と一緒に暮らしていた。

 ネイマは子供の頃からいろんな音楽を聴いていた。ブルースに感じ入るのと同じようにバルトークを聴いていた。またネイマは街にマイルスやガレスピーが街に来ると、必ず会場に駆けつけていた。

 ネイマはコルトレーンについて「無造作な喋り方をする人だった」と述べている。ネイマが人造宝石を埋め込んだベルトをしていると、「そのベルトは良くない、君には似合わない。そんな安っぽいガラスが付いていない、無地のベルトを買うべきだと思うね」と言うコルトレーンだった。

 ネイマは学生時代のオーケストラの演奏会で、演奏後に指揮者が曲の解説を始めたのを見て、不思議に思った。音楽は解説によって理解するものではなく、ただ聴くだけで十分素晴らしいものだった。

 「(音楽は)好きか嫌いか、それだけよ」とネイマがコルトレーンに言うと、「じゃあ、僕の演奏を一度聴いてくれ」とコルトレーンはネイマに頼んだ。その翌月にコルトレーンが歌伴で演奏するのをネイマが聴きに行った。その時の感想は「まるで重い毛布のような雲が、地球の上にすっぽりと覆いかぶさっている」とのものだった。ネイマにとってコルトレーンの演奏は、異様な体験の一つとなった。(資料01)

 なお資料06には、1954年にコルトレーンが歌伴を行なった記録は、見当たらない。



【ついでにフォト】

tp07015-026

2007年、アムステルダム


(2019年11月11日掲載)