Ammon Joy (Mal Waldron) (13分17秒)
【この曲、この演奏】
このセッションの音楽監督のマル・ウォルドロンが、本セッションのリーダーのジーン・アモンズの名前をつけて作った曲です。
コルトレーンもマルも、そしてリーダーのアモンズも、この曲の演奏記録は本セッションだけです。(資料06,08)
セッションの最初にみんなで楽しく合わせましょう、ということに相応しいミディアム・テンポのほんわかした笑顔の曲であり、演奏になっています。テーマではリチャードソンのフルートを効果的に使っており、この演奏の雰囲気を作っています。
ソロの先発はアモンズの余裕で貫禄のテナーです。リチャードソンを挟んでのコルトレーンのアルトは、テナーでの演奏の音域を上げたものであり、何か違ったコルトレーンの姿を出すものではなく、この時期のコルトレーンがそのまま出ているものです。ソロはアダムスとマルと続き、エンディングを迎えます。この曲は全員参加なのですが、クィニシェットにはソロが用意されていないのは何故かなと思います。
【エピソード、本セッションについて】
ジーン・アモンズがリーダーのセッションであり、マルが音楽監督で、合計8曲が収録された。
管楽器奏者は5人参加しており、リーダー以外では次の通りの管楽器奏者構成だ。
全員参加(fl, as, ts x2, bs)が3曲
リチャードソンとアダムス入りで1曲
コルトレーンと二人で1曲
リチャードソンと二人で3曲
8人編成でのセッションになった理由について、資料11に次の記述がある。
サックス3本の編成予定が、他の場所から来ることになっていたアモンズの到着が危ぶまれたので、クィニシェットがいざという時の代役として呼ばれており、アモンズがスタジオに間に合ってもそのまま残って3曲に参加した。
本セッションの興味の中心は、コルトレーンがアルト・サックスで参加していることである。1940年代はアルトでの演奏に励んでいたコルトレーンであったが、クリーンヘッド・ヴィンソンのバンドでテナーを吹いていたこともあった。1950年代に入ると、ガレスピーがビッグバンドをコンボに縮小した1951年初めから、コルトレーンは本格的にテナーに専念するようになっていた。
本格的なプロ奏者として、ソリストの場面を用意されるミュージシャンとして活動開始となった1955年からも、テナー・サックス奏者コルトレーンであった。
本セッションでコルトレーンがアルト・サックスを演奏した理由について、資料09では「アモンズとクィニシェットというテナーの御大達を前にして、コルトレーンはアルトを吹かされたのであろう」とあるが、アルト・サックスが必要ならば何人も候補が居るだろうと思う。
また資料11にはアイラ・ギトラーの話として、「その時コルトレーンのホーンは修理屋にあり、ギトラーはコルトレーンに頼まれて自分のホーン、即ちアルト、を貸したということだ」とある。ギトラーがアルト・サックスを持っていたことに感心するのだが、コルトレーンのテナーが修理屋というのはどうだろうか、資料06でのコルトレーンの演奏記録を見ると、本セッションの前が1957年12月25日のマイルス・バンドでのシカゴでのライブである。本セッションの後は1週間後の1月10日の、プレスティッジでのコルトレーンのリーダー・セッションである。アイラ・ギトラーの話からすると、テナー・サックスの入院期間は2週間弱ということになる。
本セッションはアモンズ名義で2枚のアルバムとして発売された。
そしてコルトレーンとアモンズの共演は、本セッションだけである。(資料06)
【ついでにフォト】
2008年、みなとみらい
(2019年11月5日掲載)