Sunday
(Miller - Stein - Cohn - Krueger) (7分1秒)
【この曲、この演奏】
この曲はレスター・ヤングが愛した曲とのことですが、このセッション以外での演奏を私は思い浮かびません。資料14にも記載が無い曲で、コルトレーンの演奏記録は資料06ではこのセッションだけです。また本セッションは全6曲演奏されていますが、コルトレーンはここまでの4曲の参加で演奏を終えています。
さて演奏ですが、副大統領クィニシェットの貫禄が光る、日差しを感じるスィング感が圧巻の演奏です。コルトレーンはそれまでの自分のスタイルで演奏していますが、それが少し破綻していくような演奏です。
私の想像ですが、それまでの3曲では勢いのコルトレーンの個性を活かすことにクィニシェットは徹し、2管では最後となるこの曲では「ところで売り出し中の君、こんな演奏はどうかね」と指南しているように感じました。
この後にクィニシェットは、コルトレーン抜きで2曲演奏することになります。
【エピソード、フィラデルフィアでのコルトレーン、1946年】
親友のジェームズ・キンザーも兵役から戻り、コルトレーンと共同生活を行っていた。二人は協同組合の食料品店で働いていた。後年、キンザーはこれが本職となったのである。
もう一人の親友フランクリン・ブラウアーはテンプルにいたが、時折二人の所に立ち寄り、ハイポイント仲間で話し込んでいた。
コルトレーンはまたビル・バロンとベニー・ゴルソンと親友付き合いをしており、三人揃った際には必ず演奏していた。彼らのホームタウンは、コルトレーンのアパートに近いクラブであった。この近辺にはバンドの演奏が呼び物のコーナー・バーがいくつもあり、多くのミュージシャンが生活費のためと、仲間と一緒にアイデアを観衆に聴かせるために演奏していた。そんな中に「ちびっこギャング」とのあだ名の、ジミー・オリバーがいた。あだ名の由来は彼の運指が自動機関銃のように早いことであった。コルトレーンは早く演奏する能力の向上を考えるようになった。
フィラデルフィアではあだ名で呼ばれるのが普通であった。コルトレーンはスィング野郎、ビルはヘンな野郎、そしてベニーは教授と呼ばれていた。(資料01)
【ついでにフォト】
2005年、香港
(2019年7月3日掲載)