Solacium (Tommy Flanagan) (9分10秒)
【この曲、この演奏】
曲名はラテン語で「快適さ、癒し、なだめるような」との意味があるようです。法律用語として「補償」との使われ方もあるようです。
トミフラはこの曲を、このセッションの一月前のボビー・ジャズパーのセッションとのセッションに提供しています。また1981年のウッズとのセッションでも演奏しております。(資料08)
コルトレーンは、この曲の演奏記録はこのセッションだけです。(資料06)
悲哀を感じる、人生観を感じるこの曲では、ミドル・テンポの演奏の中でトミフラのソロが充実したものになっています。遊び心も入れたそのソロに触発され、シュリーマンもコルトレーンもソロをぶつけて来ますが、バレルのソロがトミフラの好演を引き継いだものと言えるでしょう。
【エピソード、プレスティッジとの契約】
コルトレーンが1957年4月にプレスティッジと交わした契約について、資料03に次の記述がある。
「1957年に入って、ついにプレスティッジはコルトレーンとリーダー・アルバムを作る契約を交わした。ポール・チェンバースのレコードで彼が初めて示したコンポーザーとしての才能がプレスティッジの決断を促したのかもしれない。1957年4月9日に交わされた契約は、一アルバムに対してわずか300ドル、年間3枚のアルバム制作をいう内容だった」
「1957年という時点において、評論家たちは新しい世代のテナー奏者の中で、コルトレーンをロリンズにつぐナンバー・トゥーのミュージシャンとみなしていた。コルトレーンはいまだにリーダー・アルバムを持っていなかった。いっぽうのロリンズは十枚以上のアルバムを持っていた」
プレスティッジのミュージシャンに対する契約条件の悪さについては有名なところであり、資料01にもいくつもの例が示されている。要するに、ミュージシャン側の取り分の余りにも低いことである。これに関して私の考えを述べるなら、ポップス界の例を示したりと、かなりに長文になってしまう。簡潔にいうならば、マイナーなレコード制作会社は、会社を存続させる(=作品を作り続ける)ためには、大手レーベルから声を掛けられないミュージシャンを使い、安い費用でレコード制作を行わなければならい。その契約の中で有名(=売れっ子)になっていったミュージシャンにとっては、その契約内容の悪さはあまりにも辛いところに変わっていく。
マイルスのバンドに入って世間での評価が出始めたコルトレーンであったが、1957年4月の時点で彼に声を掛け、リーダー作品を作る機会を与えたのはプレスティッジだけであったのだ。この時点では喜びのコルトレーンであったのだろう。しかし事実上の2年契約の後半では、注目度がうなぎ上りに高まっていったコルトレーンにとっては、辛い契約だった。
【ついでにフォト】
2007年、みなとみらい
(2019年5月29日掲載)