Interplay (Mal Waldron) (9分39秒)
【この曲、この演奏】
アップテンポで陽気なマル作の曲で、コルトレーンはこのセッションだけの演奏記録です。(資料06)
シュリーマン、コルトレーン、ヤング、そしてジャスパーと続くソロが3回繰り返されていますが、曲調の通りに4人が陽気に演奏しあっています。この日の好調さが感じられる演奏です。
【エピソード、1957年のコルトレーン、クスリと縁切り】
コルトレーンは1955年にマイルス・バンドに加入して、本格的プロ活動を開始したが、クスリのために1957年春にクビとなった。このままどん底の1957年のコルトレーンになってしまうような出来事である。
しかしこの年にコルトレーンは、プレスティッジとの専属契約を得てリーダー作を発表し、またモンクと共演、レコーディングと夏から年末にかけての「ファイブ・スポット」出演というモンク・バンドへの参加という機会を得て、コルトレーンは大きく成長していった。
この成長の1957年となった理由は、コルトレーンがクスリと絶縁したことで、二つの大きなチャンスを活かしたからである。このクスリとの縁切りについて、資料01には次のように書かれています。
1957年の早春、コルトレーンは三大決断をし、煙草・酒・麻薬ときっぱりと手を切ったのである。
家族は当時、フィラデルフィアのコルトレーンの母親の家で暮らしていた。ジョンはあまり仕事をせず、そのかわりに煙草と酒と麻薬に溺れて、愛する音楽から遠ざかっている心の憂さをはらしていた。だが、ある朝目を覚ました彼が「おれはもうやめるよ」と言ったことをネイーマはよく覚えている。
その言葉を聞いた彼女は、もしや彼がやけになって、と不吉な予感に背筋がぞっとしたが彼はさらに言葉をつづけて「もうやめるよ、煙草も、酒もそして麻薬も」沈黙が流れる。「だから君の助けがほしいんだ、とてもひとりじゃだめなんだ」さらに長い沈黙があって、「助けてくれるねネイマ、最後まで協力してくれるだろう、頼むよ」
彼女はよろこびで声をふるわせ答えた。「いいわ、どこまでも一緒にやるのよ」
コルトレーンは母親にも同じ会話を繰り返した。母親は息子の言葉に大いに感銘し、「ジョン、いまからすぐに始めましょう、さあ、気が変わらないうちにやるのよ」
それからの彼は、毎朝体を綺麗に洗い、一日中部屋のこもって、水だけを飲むという断食を続けたのであった。愛する二人の女性とも合わずにだ。愛する二人の女性は、ひたすら祈っていた。
この期間についてネイーマはよく覚えていないが、1週間以内だったようだ。
この後コルトレーンは煙草は再び手にしたが、酒と麻薬との縁は切ったのであった。
【ついでにフォト】
2007年、アムステルダム
(2019年4月28日掲載)