Blues By Five (Miles Davis) (9分59秒)
【この曲、この演奏】
一部ではガーランド作とのクレジットがある気軽なアップテンポ・ブルースですが、多くではマイルス作とクレジットされています。マイルスもガーランドも資料08によれば、この曲の演奏記録はこのセッションだけですので、セッション中にマイルスとガーランドのさりげない話からできた曲なのでしょう。コルトレーンの演奏記録も本セッションだけです。
さて演奏ですが、マイルスのオープン・トランペットもコルトレーンのテナーも思う存分歌っておりますが、ガーランドのブロック・コードが光り輝いている演奏となっています。
このマラソン・セッション後半は次の「My Funny Valentine」でお疲れ様になるのですが、そこにはコルトレーンは参加していません。
【エピソード、クビ宣告の関わるお話】
このマイルス・バンドは、1957年4月に2週間に渡り「カフェ・ボヘミア」で演奏しました。私家録音では4月13日の記録が残っています。
この2週間公演の後に、マイルスは2年間続いたこのバンドを解散しました。コルトレーンはクビになったのです。(資料05)(資料01では1956年11月にクビ宣告としている)
さて資料05に、このクビ宣告の際のこととして、「堪忍袋の緒が切れたマイルスは、パンチとボディブローをコルトレーンにお見舞いして、さっさとバンドを解散した」との記述がある。
マイルスがコルトレーンをクビにした時は、本当にコルトレーンのことを思ってのことだったのであろう。実際にコルトレーンは、これを機会に薬と縁を切り、快進撃を始める。その意味でもマイルスは、コルトレーンにとって大恩人なのだ。
ただ私見ですが、本当にマイルスはコルトレーンに手を出したのかと思っている。この話はコルトレーンに関する話の中で、私が本当かいなと思っている三つのうちの一つである。
【ついでにフォト】
2005年、香港
(2019年3月8日掲載)