19561026-07

Oleo (Sonny Rollins)   (5分54秒)


【この曲、この演奏】

 このロリンズ作のビ・バップの勢いがある印象的なナンバーをマイルスはお気に入りのようで、1960年台半ばまで何度も演奏しいます。

 そしてコルトレーンもこの曲とは縁があります。本セッションを入れて計4回の演奏記録があり、その内の3回はマイルス絡みのものです。1958年9月9日のマイルスのライブはアット・ザ・プラザとして正規発売、そして1960年3月21日のマイルス・バンドによるフランスでのライブ演奏は発掘CDで世に出ています。残りの1回はレイ・ドレイパーのリーダー・セッションでのコルトレーンの演奏で、1958年11月or12月のスタジオ録音であり、ジュビリーから正規発売されています。

 さて演奏ですが、影の主役はチェンバースのベースでしょう。マイルスとトレーンのソロの後ろを、ドラムとピアノがオフの状態で、踏み込みの良い疾走感あるベース演奏が聴けます。マイルスはアップテンポをミュート・トランペットで爽やかな風となり、コルトレーンは音色に格段の進歩を見せた濃い演奏を披露しています。



【エピソード、ヤク中・アル中のコルトレーン】

 コルトレーンは1953年から、ホッジス楽団に加わっていた。そこではベニー・ゴルソンとの再会を果たし、演奏でも隣り同士、バスでも隣り、そしてホテルも相部屋であった。

 このように魅力的な音楽生活を送っていたコルトレーンであったが、1954年9月にホッジス楽団を辞めたのであった。それをホッジスは黙って見送っていた。その際のことを、ジョン・ウィリアムスは次のように回想している。

 「コルトレーンはサキソフォンを手にして椅子に坐っていたがその指は死んだように動かなかったし、口にくわえたままの楽器は石のように黙ったままだった。彼が麻薬をやっているのは、誰の目にも明らかだった。それも中毒が進んでいると思ったホッジスは彼に注意し、麻薬をやめるよう説得した。彼はジョニーの説得を受け入れ麻薬から足を洗うことを誓った。だが、その舌の根が乾かぬうち、翌日か翌々日にはもとの木阿弥となって、同じことの繰り返しだった」(資料01)


【ついでにフォト】

19561026-07

2005年、香港


(2019年3月4日掲載)