How Am I to Know? (Parker - King)
(3分2秒)
【この曲、この演奏】
ジャズ歌手に人気のこの曲は、1955年11月16日のアルバム「(小川の)マイルス」のセッションで演奏されました。そして1956年9月のカフェ・ボヘミアでも、この曲が取り上げられました。
さて演奏ですが、軽快なドラムスに続いてミュート・トランペットでマイルスが登場し、歌いような演奏を行なっていきます。それに続いてコルトレーンなのですが、この時点では歌心ではマイルスに何歩か遅れているのは明らかです。ベース・ソロを挟んでマイルスのアドリブとなるのですが、途中でアナウンスが入り、フェイドアウトで収録は終わっていきます。
【エピソード、ダウンビート誌1958年10月16日号 その5】
やがてコルトレーンは、新たな創造を目指し本格的に活動していきたい意志を強固にしていく。一九五五年、再びフィラデルフィアに戻った彼は、ビル・カーニーのコンボで活動しながら、自己目標に向かって大きな一歩を歩み出すことになる。自信が言うように「我々は、ある種の場所ではあまりにも音楽的でありすぎた」のだ。
一九五五年後半、マイルス・デイヴィスの誘いを受ける。コルトレーンのプレイに一目置いていたマイルスは、新たに結成するクインテットに彼を加えたがった。このマイルスの後押しによる、コルトレーンの冒険の旅路が徐々に拓けていく。彼のプレイに注目するミュージシャンやリスナーが増えていく中、マイルスが一九五七年にグループを解散すると、コルトレーンはセロニアス・モンクのカルテットに加わった。
ダウンビート誌、一九五八年十月十六日号、16-17ページより(資料04)
【ついでにフォト】
2005年 香港
(2023年4月16日掲載)