One Up, One Down (take1)
(John Coltrane)
(7分57秒)
【この曲、この演奏】
資料07では「Untitled Original」となっているマトリックス番号11387での5つのテイクですが、2018年に発売された際には「One Up, One Down」との曲名になりました。
「One Up, One Down」、或いは「One Down, One Up」は黄金カルテットでの1965年に何度かの演奏記録があります。その辺りについては、この「今日のコルトレーン」が1965年までいった段階で改めて整理して、ここで紹介したいと思います。
印象的なリフでコルトレーンのテナーが猛進していくこの演奏、専門的には「増三和音を活用」しているこの演奏では、コルトレーンの目指したい道を提示しているようです。コルトレーンの演奏の場面ではほぼピアノ抜きですが、コルトレーンの激しい主張と、それをエルヴィンが叩き出す複雑なリズムが、いかに向かい合っていくかを追求しています。マッコイのソロのスピード感、そしてギャリソンのベースとエルヴィンの戦いが、コルトレーンの演奏同様に痺れるものとなっています。
【エピソード、バーバラ・ガードナーの記事 その7】
停滞するテナー・シーンに新風を巻き込んだのがソニー・ロリンズなら、一九五八年以降のコルトレーンは竜巻に相当する。
彼は十六分音符の高速連射でリスナーを絨毯爆撃した。延々と続く明らかに関連性のないラインの数々、互いに絡み合い逆転する五和音。次々と表情を変えていくトーン。一部では、くどい、という批判もあった。彼は一つのアイディアを執拗にプレイしていた。可能な限りの音の組み合わせを試し、想像しうるすべての音を吹いて、自分が感じた何かをテナーから絞り出そうとした。自分のやっていることは正しいんだという実感を得ようとしていた。
「私はフィーリングを重視してプレイする」とコルトレーンは認める。「私はただそれを感じたいだけなんだ。それを感じられるまでは、試し続けるしかない」
音楽的かつ物理的なこのコルトレーン的ルネッサンスは、対外的な問題や失望と無縁ではなかった。だが彼は、敢えて通常の許容範囲を超えるプレイを展開することこそ、誰とも違う自分の個性を明確にできると見抜き、過剰とも思えるテナー・パターンを推進する。大抵の場合、それは功を奏し、彼の演奏は、当時のテナー・プレイに蔓延していたある種のマンネリズムに対して、大きな声をあげる批評家やリスナーの心を大きく揺さぶったのである。
(資料04より)
【ついでにフォト】
2005年 香港島 トラム
(2021年4月16日掲載)