19610320-06

Someday My Prince Will Come
(F. Churchill – L. Morey)
(9分3秒)



【この曲、この演奏】
 作曲者のフランク・チャーチル (1901 – 1942) は、サイレント映画の伴奏用の劇場ピアニストを経て、1930年にディズニー・プロに入り、主要音楽スタッフとして活躍した。ウォルト・ディズニーが1937年に製作した「白雪姫」は、アニメとしては世界初のカラー長編トーキー作品。「風と共に去りぬ」(1939年)の登場まで、米映画史上最高の収益を誇った同作品の中で、白雪姫が小人たちに歌って聞かせたのがこの曲。(資料14)

 この曲のマイルスの演奏記録は本セッションが最初であり、その後にこの年のライブで何度か演奏されています。(資料08)

 コルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。(資料07)

 さて演奏ですが、リズム陣が雰囲気を作った後に、マイルスのミュート・トランペットがテーマを演奏し、そのままアドリブ・パートに入っていきます。その演奏は優しさのものであり、しかし優しさだけでは生きていけない厳しさも表現しているように感じます。
続くソロは、モブレーの優しさ溢れる演奏であり、ケリーの絶妙な語り口です。

 マイルスのミュートがテーマを短く吹いた後に、コルトレーンが登場します。その演奏は、優しい目をした少年が、厳しい目つきもすることのある大人へ成長していく過程を表しているのかなと、私は感じました。

 演奏は後テーマとなり、コルトレーンとマイルスの最終日前日は終わります。

 なおマイルスたちはこの後に「Old Folks」を収録し、翌日に収録する「Teo」を演奏して、この日のスタジオ作業は終わりました。




【エピソード、本セッションについて】
 コルトレーンが1960年4月にマイルス・バンドを去った後にマイルスは、ピアノをウィントン・ケリーに固定し、テナー・サックスにソニー・スティットを加えて活動していた。1961年に入り、アルバム「Someday My Prince Will Come」制作のために3日間のセッションを行い、その際にテナー・サックス奏者をハンク・モブレーに替えていた。3月7日、この3月20日、そして翌日の21日にスタジオ録音をおこなった。

 自分のバンドでの活動に専念していたコルトレーンが、アルバム「Someday My Prince Will Come」に2曲だけ参加した経緯については、諸説がまことしなやかに語られてきている。

 先ず、コルトレーンの活動としては次の通りであった。

1961年3月1日から12日
シカゴにあるサザーン・ホテルのサザーン・ラウンジでライブ出演
1961年3月17日から23日
マンハッタンにあるアポロ劇場に出演

 資料09にある次の記述が、多くの諸説に共通することであろう。

 退団後、マイルス・バンドのレコーディングに訪れたコルトレーンが急遽1曲に加わったのが、この日の「Someday My Prince Will Come」である。当時、マイルス・バンドのテナーは、ハンク・モブレーであったが、そのあまりにオーソドックスな語り口は、リーダーの目論見とはあまりに離れていたのか何度もテイクを重ねたらしく、そこでゲストのコルトレーンの参加ということになったらしい。(資料09)

 アポロ劇場出番前にコルトレーンは、近くでレコーディングを行なっているマイルスを表敬訪問したら、最初の1曲だけに参加することになったのであろう。 

初収録アルバム

【ついでにフォト】

2013年 みなとみらい

(2022年7月21日掲載)