Spring Is Here
(Rodgers – Hart)
(6分57秒)
【この曲、この演奏】
ロジャーズ&ハートは1929年に同名のミュージカルを書いているが、これはそのタイトル・ソングではなく、1938年の「アイ・マリード・アン・エンジェル」の中で、デニス・キングとビビエンヌ・シーガルが歌ったものです。(資料14)
コルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。
資料06によれば、この曲を3テイク演奏しています。最初のテイクはフォルス・スタート、2回目は7分15秒、そして3回目がレコード化されたものです。また他の2つのテイクは、消去されたとのことです。さらに資料06ではレコード化されたものは、アドリブ・パートに他のテイクを加えられたとあります。
さて演奏ですが、アップ・テンポで親しみやすいメロディを、肩から力を抜いていながら、ダブルタイムでの疾走感を感じさせるコルトレーンの演奏は楽しめるものです。ハーデンの演奏は親近感が湧くもので、堅実にフリューゲルホーンの音色を聴かせてくれます。さらに言えば、ツボにハマったガーランドのピアノも短いながらも愛おしいものです。
【エピソード、本セッション】
プレスティッジが、コルトレーンのプロ・ミュージシャンとしての入り口で大きな役割を果たしたことは、誰もが認めることであろう。
コルトレーンが光が当たる舞台を得られたのは1955年のマイルス・バンド加入であり、その後にプレスティッジはコルトレーンに、多くのレコーディング機会を与えた。マイルス・バンドを首になったコルトレーンと、1957年4月に契約したのもプレスティッジであった。コルトレーンの1957年と言えば飛躍の年であり、モンクのバンドでの演奏やBNレーベルでのレコーディングといった重要な活動と共に、プレスティッジでのレコーディングは、コルトレーンをミュージシャンとして成長させていった。
しかしながらその成長度合が高まっていくコルトレーンの中で、プレスティッジへの不満も出てきたのであろう。それは本セッションの前の、1958年5月23日のセッションの演奏内容から伺える。よく言われるプレスティッジの効率性重視のレコーディングというものだけではなく、自分の表現したいことを実現出来るレーベルではないと、コルトレーンは思っていたのであろう。
プレスティッジとの契約は、1959年3月までである。1958年中盤のコルトレーンは、プレスティッジとの契約上のレコーディング量はこなさなければならない。その一方でマイルス・バンドに復帰し、またジャズ界から注目を浴びるようになったコルトレーンには、いろんな話が持ち込まれたと思う。
資料01によれば、マイルスがコルトレーンに、アトランティックのアーテガン兄弟を紹介していたようだ。時期は定かではないが、私の想像ではこのセッションの辺りではと思う。そしてプレスティッジとの契約終了後のアトランティックとの契約の話も、出てきたのであろう。
自分のバンドで、自分の考えでレコーディングしたい、そんな強い思いがコルトレーンに出てくるのは、当然のことだ。
1958年7月の本セッションでは8曲、そしてプレスティッジ最後のセッションとなる1958年12月のセッションでは6曲をレコーディングしている。そしてほぼ全ての曲が、スタンダードである。
マイルスがそうであったのと似たような行動を、コルトレーンは行ったのではと思う。
(契約の年月は資料01から。その他は筆者の考え・思いである)
【ついでにフォト
2010年 ペナン
(2020年2月7日掲載)