19561026-06

I Could Write A Book
(Rodgers – Hart)
(5分10秒)



【この曲、この演奏】
 1940年に公開されたミュージカル「パル・ジョーイ」の主題歌として書かれた曲で、ジーン・ケリーが歌いヒットしました。また1957年に映画化された際にはシナトラが歌い、これまた大ヒットとなりました。ジャズではこのセッションの演奏が有名ですが、ケニー・ドリューやサラ・ボーンの演奏も親しまれています。(資料14)

 この曲の演奏記録ですが、コルトレーンもマイルスもこのセッションだけです。(資料06,08)

 都会の夜を粋に遊ぶ人間たちの楽しい様子が浮かんでくる曲ですが、マイルスのミュート・トランペットが笑顔を浮かべているがどこか哀しさがある女性を思い浮かばせる演奏、コルトレーンは精一杯粋がっている男の様子が漂う演奏を行っています。またガーランドは、イントロとソロで宝石の輝きのピアノを聴かせています。粋な演奏です。




【エピソード、ヤク中・アル中のコルトレーン】
 コルトレーンは酒を飲みヘロインを使用していたが、これはこの時期のジャズ・ミュージシャンには珍しい事ではなかった。

 資料03によれば、1954年と1955年にチャールス・ウィニックが行った社会学的調査の中に、ニューヨークに住むジャズ・ミュージシャンの16%がヘロインの常用者だったとのものがある。彼がニューヨークで357人からの聞き取り調査の結果であり、この時期にニューヨークの全ジャズマン、ウィニックはこの数を5千人と推定しているが、に適用すれば750人強のジャズ・ミュージシャンがニューヨークで活動していたことになる。

 しかし面前調査で素直に答える人間は少ないことを考えると、これは最低限と考えるべきである。何れにしても「多くのジャズマンが・・・」と言う表現をよく見かけるが、16%と言う数字が調査結果としてあるのは貴重なことである。

【ついでにフォト】

2006年 香港

(2019年3月3日掲載)