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ECM-1778 NS
Valentin Silvestrov Requiem for Lariss
JAZZDISCO.org から
ECM 1778 NS Valentin Silvestrov – Requiem For Larissa 2004
National Choir Of Ukraine “Dumka”, Yevhen Savchuk, choirmaster; National Symphony Orchestra Of Ukraine, Volodymyr Sirenko, conductor.
Kiev, Ukraine, 2001
I. Largo
II. Adagio – Moderato – Allegro
III. Largo – Allegro Moderato
IV. Largo
V. Andante – Moderato
VI. Largo
VII. Allegro Moderato
作曲者 ヴァレンティン・シルヴェストロフについて
(ウィキペディアから)
ヴァレンティン・ヴァシリョヴィチ・シルヴェストロフ(ウクライナ語: Валентин Васильович Сильвестров, ラテン文字転写: Valentin Vasylyovych Silvestrov, 1937年9月30日 キエフ – )は、ウクライナ[1]の現代音楽の作曲家。
経歴と作風
経歴
1937年、キエフ生まれ。ドイツ語系の技師と教師の家庭に生まれる。両親は息子に様々な種類の教育の機会を与えたが、音楽以外に魅かれなかった。音楽学校を卒業し、15歳から作曲を試み始めるものの、キエフ建築技術大学 (The Kyiv National University of Construction and Architecture) に入学する。3年後の1958年に同校を退学してキエフ音楽院に入学し、作曲をボリス・リャトシンスキーのクラスで学んだ。1964年に同音楽院を卒業。1960年代に『キエフ・アバンギャルド』に加わり(参加者にはレオニード・グラボフスキー (Leonid Hrabovsky)、ヴィタリー・グズャツキー (Vitaliy Hodziatsky)、ヴラディミール・グバ (Volodymyr Huba) 、イーゴリ・ブラジュコフらがいた)、反体制文化の活動をしていた。作風
アルフレート・シュニトケやアルヴォ・ペルト、ソフィヤ・グバイドゥーリナらが居並ぶ旧ソ連の同世代の作曲家の中では、屈指の実力を持つ作曲家と見なされている。15歳で音楽の個人指導を受けた後、1955年から1958年までキエフ音楽大学夜間学部に学び、1958年から1964年までキエフ音楽院にてボリス・リャトシンスキーに作曲を、レフ・レヴツキーに和声法と対位法を師事。デビュー時は前衛的な作風によって著名であり、ブルーノ・マデルナが絶賛した。いくつかの作品は、モダニズムや新古典主義音楽から戦後前衛の流れを汲んでいると見なし得る。転向以前の作品はストラスブール打楽器集団のような例外を除いて、ほとんど録音の機会を得ていない。
ところが、1970年代以後急速に過去の回顧派に転向。伝統的な調性や旋法も用いながらも、劇的な響きと情緒的な響きのテクスチュアを繊細に織り成し、独自の作風を築き上げている。シルヴェストロフが示唆する特色は、たいがいの現代音楽においては犠牲にされてきたものである。「私が作曲しているのは、新音楽ではないのです。私の音楽は、既存の音楽への反応であり、反響なのです」とシルヴェストロフは語っている[3]。
シルヴェストロフは、1974年にソ連作曲家同盟から除名されると、ソ連との結びつきをやめて西側へ作品を売り込みだした。たとえば《静寂の歌[4]》のような作品は、ソ連非公開で演奏されることを意図して書かれた。《交響曲 第5番》(1980年~1982年)は、傑作として広く認められており、グスタフ・マーラーのような後期ロマン派音楽のエピローグないしはコーダと見なしてよい。主要な出版作品には8つの交響曲、ピアノと管弦楽のための詩曲、数々のオーケストラ曲、3つの弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、3つのピアノ・ソナタ、数々のピアノ曲、カンタータ、歌曲が含まれる。
前衛の停滞を経て新ロマン主義が流行しつくした後も、シルヴェストロフは望郷や回顧といった感覚を機能和声の枠内で取り戻すことに成功した貴重な作曲家である。ピアノソナタ第二番では、比較的ゆるいテンポ感が支配するなか、どこかで聞いたような伴奏音型を不意にペダルでぼかすことにより、聞き手の記憶をくすぐる仕掛けが施されている。単純な調性音楽に帰するのではなく、なにかしらの思い出をフラッシュバックさせるテクニックは、かつての前衛時代の感覚とは完全に切り離された代物であり、同一人物の作と認識するのが難しい。
転向後の作品の演奏や録音の機会は多い。デビュー時に前衛語法で脚光を浴びたのち、転向後にECMが集中的にリリース[5]をして大衆的な支持を得たのは、ヘンリク・グレツキの成功と全く同じケースである。
感想
シルヴェストロフ作の交響曲を、ヴォロディミール・シレーンコ指揮でウクライナ国立交響楽団が演奏した作品である。
本「新版 ECMの真実」から、この作品に触れている箇所(p250)を引用する。
近年では、ヴァレンティン・シルヴェストロフというウクライナ出身の作曲家の作品にもノスタルジア、記憶、夢、還らない時への絶望と悔恨、情景が読み取れます。シルヴェストロフは96年に夫人を亡くした後、これが最後の作品と覚悟して『ラリッサへのレクイエム』というオーケストラ曲を書いていて、その後はほとんど作曲活動をしていないのですが、アイヒャーは今もなお代表作を掘り起こしてCD化を続けています。
大地に重く広がる空気を感じたと思えば、宇宙に放り出され暗闇と星の輝きに哀楽の気分になり、そして僅かな瞬間だが幼き日の家族との団欒が目の前に広がる、そんな絵が広がる50分間であった。
最初に感じたマーラーとブルックナーを足して・・・では表現できない、深い想いを感じる作品である。
2023年6月28日掲載