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日経「NYで日米協調介入、2-3億ドル、ドル買い、円反落 一時149円台に、ロンドンでも委託介入」
読売「円高抑制、米も大規模介入、数億ドル、148-149円台、米適正水準を探る?」
朝日「日米英が協調介入、ロンドン・NY市場、149円台まで戻す、円高に一応の歯止め」
戦後から長年続いてきた1ドル360円の固定相場は、1971年のニクソン・ショックを受け、その後のスミソニアン協定で1ドル308円となりました。しかしドルの固定相場の維持が難しくなり、1973年4月に日本は変動相場制に移りました。その直後に1ドル260円まで円高が進みましたが、この年の秋のオイルショックで1ドル300円まで戻り、1976年末までこれが続きました。しかしながら円高が進み始め1ドル200円を突破し、1978年末には一時1ドル180円を突破しました。その後は、アメリカのカーター政権下でのドル防衛政策の他、イラン革命の進行によるオイルショック懸念、ソ連のアフガニスタン侵攻で再びドル高となり、1980年には1ドル250円付近まで円安が進みました。その後はしばらく1ドル200-250円で推移しました。
1985年秋にはプラザ合意によるドル安誘導政策で円高が進み、1986年末には1ドル160円を突破しました。1987年2月にはルーブル合意でドル安に歯止めをかける方向になったものの、ドル安は進んでいきました。
この記事の動きは、そんな中での取り組みであります。以上はウィキペディアからの引用でした。
この日の読売新聞から
気になった記事
1面に「脳死、日医も容認、倫理懇 きょう中間報告」とあります。脳死については様々な議論が重ねられ、「臓器の移植に関する法律」で脳死が法律で定義づけられたのは、この記事から10年後のことでした。
目にとまった広告
この時期には、予備校の広告が多くあります。この日も、研数学館・早稲田予備校・一橋学院・早稲田ゼミナール・新宿セミナーの、5校の広告がありました。今の予備校の需要が減っている中で、この中の4校は今でも予備校として機能しております。
TV欄を見ると
翌日から始まる選抜高校野球に触れる番組が多いです。この年は神奈川から選ばれた高校はありませんでした。ちなみに優勝したのはPL学園でした。