1955年6月10日(金)の新聞から

トップ記事

日経「新適用税率決まる、ガット関税交渉 288件の譲許獲得、日米は9月10日から、政府発表」

読売「南樺太含まず、千島・歯舞・色丹、政府筋、松本・マリク会談内容、交渉長期化へ傾く」
 松本とは松本俊一氏のことで、戦争中には外務次官などの要職を歴任、戦後は公職追放で家業に専念していましたが、1952年には追放解除により外務顧問として復帰し、この記事の時には鳩山一郎首相から日ソ交渉全権代表に起用されていました。
 マリクとはヤコフ・マリク氏のことで、戦争中には駐日ソ連大使を務め、この記事の時には駐イギリス大使で下が、日本との交渉も行なっていました。
 この2人がそれぞれの全権大使となり交渉を行い、日ソ国交回復への道を開きました。以上はウィキペディアからの情報でした。

朝日「マグロなど約三百件、関税譲許表を発表、ガット交渉、日本加盟ほぼ確実」

 日経と朝日の記事は、日本が国際貿易に復帰するための大事な局面を伝えたものです。譲許表とは互いの関税率を交渉で決めて法にしたもので、今でもいろんな貿易交渉結果として使われているものです。


この日の日経新聞から

気になった記事
 最終面に「好調を続ける森永・明治、渡辺など中小の整理で、製菓業界の展望」と、「景気と投資」というコラムにあります。製菓業界はデフレの影響を強く受け苦しんでいるが、森永と明治は洋菓子が好調であることを伝えています。

品質的には優れていた中小の渡辺製菓は、大手と中小の間で苦しんでいました。この年の8月に銀行取引停止により上場廃止となり、昭和産業が出資し東京渡辺製菓となりました。その後には「渡辺のジュースの素」などで再び存在感を示しましたが、1969年に人工甘味料チクロが使用禁止になり「渡辺のジュースの素」が販売中止になり、最終的には大手に完全吸収されて渡辺製菓は消えて行きました。


目にとまった広告
 1面に日本内燃機製造という会社の広告があります。小さな三輪自動車の絵があり、「くろがね」との商品名です。1120ccと870ccの2種類があるとのことです。掲載されている絵からすると貨物用ではなく、しかし長距離用でもなく、使用目的が分かりませんでした。調べてみましたらこの会社は、今の日産系列のエンジン製造会社である日産工機の前身企業であるとのことです。また「くろがね」はオート三論トラック市場の代表格だったそうです。ネットで「くろがね」の写真を見ますと、確かに荷台がありますが、それは1m四方ほどのものです。米屋さんや酒屋さんの近所への配達用だったのでしょうかね。


TV欄を見ると
 KRテレビ18:00から「松田トシショー」との番組があり、この日は「子供の四季」と題してのものです。私にとっては子供の頃の「スター誕生」の松田トシ先生ですが、歌手としても有名で紅白にも出場した方でした。元々は東京音楽学校本科卒業の声楽家ですので、「スター誕生」で歌唱について、優しい口調で厳しいことを述べられていたことを思い出します。2011年に96歳で亡くなられました。