Ascension Ed. II
(John Coltrane)
(Part 1 18分53秒、Part 2 21分30秒、計40分23秒、資料07の表記より)
【この曲、この演奏】
コルトレーンが「昇天」との名のもとで集団即興演奏を行なったのは、彼の活動歴を考えてみれば、当然のことでありましょう。
資料09にあるこの演奏に対するコメントを次に引用します。
コレクティヴ・インプロヴィゼーション(集団即興)とパーソナル・インプロヴィゼーション(個々の即興)の反復という方法論は、1960年にオーネット・コールマンがその名も「フリー・ジャズ」(Atlantic)において初めて示したものであるが、コルトレーンはそのコンセプトをここで更に強力に推進・顕示してみせた。あくまでもリズムを重視したうえでの調整と無調との関連・併置がここでのメイン・テーマとされる。そこには巨大なエネルギーのカオスが渦巻き、たぎる。あたかも太陽のプロミネンスを見るようだ。
さて演奏ですが3分半近いテーマから始まります。コルトレーンの「神への願い」が漂うものですが、ホーン陣7名はブローしたりテーマを吹いたりしています。これからも打ち合わせはごく簡単だったことが伺えます。この状況の中で、恐らくはシェップが「ここは自分がしっかりしなくてはいけない」と思ったのか、流れをリードしていきます。
コルトレーンの2分半のソロとなり、コルトレーンにしては珍しく肩に力が入りまくった演奏となりますが、1分ほどしてからいつもの姿になっていきます。コルトレーン自身も自分を見失った場面がある、取り憑かれたようなセッションです。
2分弱のホーン陣全員でのテーマとなります。途中から次のソロ奏者であるデューイ・ジョンソンが「俺の番だぞ」と混沌から抜け出そうとしますが、カオス真っ只中のホーン陣はそれを中々許しませんでした。
ようやくジョンソンのトランペットでの1分半強のソロとなりました。
また2分半弱のテーマとなり、ここでも次のソロ奏者のサンダーズが抜け出そうとしますが、トリップ状態のホーン陣はそこに気づきません。なんとかサンダースのソロとなり、2分半ほど続きました。
再びテーマ、1分強です。ここではホーン陣みんななが「ソロに入るのを邪魔するのは良くないね」と感じた雰囲気が、ここでのテーマの終盤に見られます。
ハバードのトランペットで2分ほどのソロが行われます。そしてLPではここでA面終了となります。
1分強のテーマがあり、続くマリオ・ブラウンのアルト・ソロは1分強でした
続くのは1分半ほどのテーマであり、終盤にエルヴィンが合図を出して、シェップのソロへと移ります。「ここからは俺が仕切るぞ」とのエルヴィンの思いがあったのでしょうか。
シェップのテナーでのソロは3分弱続き、コルトレーン並みの持ち時間でした。しかしながらホーン陣をまとめようとの気持ちのせいなのか、既に疲れ切ったシェップがそこにおりました。
続くテーマは1分弱で、ジョン・チカイによるあるとでのソロになります。「オレはちゃんと吹くぞ」とのチカイの思いが伝わってくる始まりなのですが、すぐに周りの視線が突き刺さったのか、カオスのチカイになっていきます。
次のテーマ演奏は2分半強のもので、ホーン陣7人の熱気が凄いものです。。その姿はまるで、泥風呂で暴れまくるたけし軍団のようです。
続くのはタイナーの3分半弱のソロ、トリオでの演奏です。この世界が意外にもタイナーに似合うなと感じさせる演奏を披露しています。終盤はベース2本に支えながらの、エルヴィンのドラムとの一騎打ちの様相となりました。
テーマを挟まずにベース2本での、2分半弱のソロに移ります。アルコがギャリソン、ピッチカートがデイヴィスだと私は聴きましたが、二人は「このセッションはオレらベースの二人が支えている」と思っているかのような、良い演奏となっています。
ドラムの合図で再びテーなとなり、4分半ほど続き、この演奏は終了していきます。ホーン陣7名には精神的に限界まで疲れ切った様子が演奏から伺えますが、ハバードがそれに喝を入れホーン陣が盛り返します。しかしそれも長続きせず、精も根も尽き果てて、演奏が終わった感じでした。
この最初に演奏されたテイクはアルバム「アセンション」の差し替えとして世に出て、長きにわたり聴かれている演奏となりました。
【エピソード、本セッション、資料13から、その1】
テナー三本、アルト二本、そしてトランペット二本という七管編成、そしてベースが二本、計11名で行われたセッションである。
二つのテイク(エディション)が収録され、後に収録されたテイク(エディションⅠ)が1966年2月頃に発売されたが、すぐに先に収録されたテイク(エディションⅡ)に差し替えられた。(1とIIの版数については資料07の情報)
このセッション、そしてA(S)-95「アセンション」という作品について資料13にある記述を、今回と次回にかけて引用する。
まだ「アセンション」が出る前、1965年の暮れのことだ、コルトレーンはDJアラン・グラントが司会するラジオ番組に出た。そこでのコルトレーンは、大編成バンドでの音楽の実験に対し満足と不満足を同時に感じている様子だった。
コルトレーン
最近、アルバムを作ったんだ。メンバーは(略)、ビッグ・バンドの作品さ。
グラント
その笑いは・・・。
コルトレーン
まあね。この作品にはどこかおれの気に入るものがあるんだ。
このレコーディング・セッションは騒然としたもので、参加したプレイヤーはその経験やスタイルにおいてまちまちだった。顔ぶれは(略)。3年半一緒にやってきたバンド・メンバーを信頼しているのは当然だが、それと同じくらいこの即興集団を信頼するということは一つの賭けだった。彼らはリハーサルもなくスタジオで顔を合わせ、ソロの順番程度のわずかな指示とメロディを書いた5線紙を渡されて本番に臨んだのだ。そこには極の構成といえるようなものはほとんど見当たらなかった。「アンサンブルのパッセージはコードに基づいたものだったが、そのコード自体が変更自由なんだ」とシェップは振り返る。「たとえばあの下降する和音の部分は、向かっていく調整があって、それはB♭mなんだけど、そこに辿り着く行き方は一つではないんだ」
インパルス!のコルトレーンは自分の信奉者を得たが、彼らへの踏み絵となったのが「アセンション」だ。これは黄金カルテットのメンバーにとっても同様だった。レコーディング・セッションの途中、コルトレーンはシャツを脱ぎ捨て疲れ切った顔のエルヴィン・ジョーンズを見て、もう一度頑張って40分の演奏をやってくれないかと頼んだ。ジョーンズは嫌々ながら承知したが、2回目の録音が終わったところで、スネアをスタジオの壁に投げつけた。こんなことはもう終わりにしてくれ、という意思表示だった。
【ついでにフォト】
2010年 ペナン、マレーシア
(2021年7月22日掲載)