19650610-05

Untitled Original 90314
(John Coltrane)
(14分47秒)



【この曲、この演奏】
 曲名無しなので、いくつかの微妙に異なるクレジット存在します。まずはこのセッションを収めたリール・ボックスには「No Title Again」(資料07)、1978年に発売され今曲の初出となったIZ 9345-2にはマトリクス・ナンバーを付して「Untitled 90314」、さらには1998年のCD箱IMPD 8-280では「Untitled Original 90314」となっています。

 資料09には、「同じくタイトル不明で後からタイトルを付けられた「アフター・ザ・クレッセント」(19650526-04)と同様のモチーフの曲であり、そのヴァリエーションの一つである。前者と対照的に初めからオン・リズムで演奏される」とあり、確かにこの通りの内容であり、典型的な「早口まくしたて型」コルトレーンです。

 まずはテナー・サックス・トリオで5分、ここではコルトレーンがドラムスとの更なる可能性を探っているようです。続くのはピアノ・トリオでの5分半、熱気を強く感じる演奏ですが、その熱気はマッコイとエルヴィンでは向かう先が違ってきているかなと、感じました。そして再びテナー・サックス・トリオで4分、演奏は終わっていきます。

 さてこの演奏には、準備運動の意味合いがあるのでしょう。この後にはこのセッションの目玉である二曲の演奏を控えており、それらはこの前の二曲とは趣が違うものです。すぐにメインの二曲に移るのにはまだ早すぎるとコルトレーンが判断し、この演奏となったと思います。

 しかしながらこれは、これからの黄金カルテットの行方を考える上で、示唆に富んだとも言えます。




【エピソード、ジョー・ゴールドバーグの著書から その10】
 1965年に刊行されたジョー・ゴールドバーグの著書「Jazz Masters Of The Fifties」の中の、コルトレーンに関する思慮に富んだ文章の日本語訳が資料04にあるので、数回に分けて掲載する。

 この一年ちょっとに間に、コルトレーンは様々な音楽スタイルの間を疾走した。それは知識に飢えた人間の姿であり、彼が新しいことを試すたびに、未知の世界が目の前に開けていく。彼は基本的にはロマンチックなプレイヤーだ ー その演奏に怒りを感じるには、豊かな抒情性の一側面にすぎない。ロマンチストのご多分に漏れず、彼もまた、その探求の過程で、自分には不要なもののリストを何枚も溜め込んできた。これはたぶん、彼がいまだに当初のスロー・バラードのスタイルを保ち続けていることに関係があるのだろう。だが、異なるタイプの曲を演奏するとき、コルトレーンは危険な立場に立たされる。未知のことを試せば、多少ぎこちなくなるのは仕方がない。だが、そういった夜にリスナーが目撃するのは、自身の音楽的語彙の中でもがき苦しむコルトレーンの姿だ。それを見て愛想をつかすリスナーも多いだろう。しかし、コルトレーンは喜んでその賭けに挑む。こうした状況で彼がオーディエンスに差し出せることといえば、音楽が創造される瞬間に立ち会えるという興奮だけだ。それは感動的な体験だが、誰もがそれを共有したがるわけではないことは明らかだ。

初収録アルバム

【ついでにフォト】

2013年 みなとみらい

(2021年7月14日掲載)