Bessie’s Blues
(John Coltrane)
(3分35秒)
【この曲、この演奏】
4月27日に引き続き、女性ブルース・シンガーのベッシー・スミスに捧げたコルトレーン作のこの曲が、この日も演奏されました。
6つのテイクが録音されており、その中の4つのテイクは演奏しきっているものです。資料07よりますと、このセッションを納めたテープの箱に、この曲のマスターについての注釈あるとのことです。ブレイクダウンで終わっている2つのテイクを含めて、A(S)-66 「Crescent」に収録されているのがどのテイクかは、確かではないとのことです。
さて演奏ですが、4月27日のドタバタぶりが嘘のように、快調にアップテンポのブルースを演奏しています。コルトレーンのテナーでテーマ、そのすぐ後にマッコイのピアノ、そしてコルトレーンのテナーでのアドリブ・パートに移ります。コルトレーンのパートでは、最初は元気にスイングするマッコイのピアノですが、徐々に弱めていき、そして姿を消していきます。テナー・サックスでの後テーマに続く場面では、再び元気なマッコイが登場します。
この手の演奏では、特にライブではお決まりの展開ですが、スタジオ録音でもそれが披露されています。
【エピソード、バーバラ・ガードナーの記事 その17】
(1962年発表の文章)
ある者は盲目的信仰に着飾られた意見を口にし、ある者は単純に推測する・・・ちょうどアダレイのように。「彼の次の一手は誰にも読めないよ。数ヶ月後にはまったく新しいことを引っさげてステージに立つ可能性がある」
ギャレットは賞賛を込めて言う。「彼はいつだって斬新で、全ての先を行っている。彼は何一つ犠牲にしない。いつも学んでいて、新しいことにチャレンジしている」
エディ・ヴィンソンが当時を懐かしんで言う。「あの坊やはたいしたタマだった。半年ごとにスタイルを変えてたっけな。今でもそうだ。あいつが半年後に何をやっているかなんて誰にも分からない」
止まらない変化、これこそがジョン・コルトレーンの根本的な魅力であり、彼を知る人々を感服させるものである。そして音楽に対する一途な姿勢、彼は音楽に生き、音楽という息を吸っている。コルトレーンへのインタヴューは、人間の魂を内側から覗くことだ。そこから溢れ出すものは、音楽に対する真摯な愛情と敬意、そして、自らが抱えるジレンマを隠そうともしないあけすけな謙虚さである。彼は自身が感じている行き詰まりを、世界と分かち合いたいと思っている。そこにいる誰かが、音楽の世界の謎を解く鍵を授けてくれるのではないかという淡い期待を胸にして。
(資料04より)
【ついでにフォト】
2010年 タイプーサム、ペナン、マレーシア
(2021年5月22日掲載)