19621119-04

Naima
(John Coltrane)
(9分21秒)



【この曲、この演奏】
 2日前のパリ公演でもこの曲は演奏されました。

 コルトレーンがテナーでテーマを吹き演奏が始まりますが、それは引き込まれていく魅力に溢れたものです。1分過ぎからアドリブ・パートに入り、想像力が溢れるコルトレーンの演奏が続き、またバックでのマッコイのピアノも良いものです。演奏開始から4分を過ぎてバンド全体が熱を帯びたところで、マッコイの2分ほどのピアノ・ソロとなり、再びコルトレーンのテナーへと続きます。この酔い知れるソロの連続を楽しんだところで、2度目のコルトレーンが1分半ほど演奏したところでテーマとなり、会心の演奏が終わります。




【エピソード、J. クルーゼとM.デロームとのインタヴュー、その3】
質問者
 「オーレ」の米国版ジャケットでは、一九六一年当時のあなたとラルフ・J・グリーソンの会話が引用されています。確かこんな内容でした。

 「アポロでの仕事中、私は短いソロを吹くことを強いられた。普段なら三〇分かけてやる曲を十分で演奏する必要があった。そこで思いついたのが、即興演奏を短くする代わりにメロディ楽器を一つ加えて、違ったフィーリングを得るというやり方だ」

 この計画は今はどうなっていますか? ドルフィとの実験後は、カルテットの形式に戻ったのでしょうか?

コルトレーン
 その引用についてはよく覚えていないが、これだけは確かだ。私は独りでプレイするほうが好きだ。そのほうが長い時間インプロヴァイズできる。エリック・ドルフィが抜けたあと、代わりのメンバーを雇っていないのはそのためだ。それと理想的なプレイヤーが現れていないせいもある。エリックは完璧だった。私が心から満足しているソロイストは彼だけだ。彼がグループに入って、パートやら何やらを書き上げる必要がなくなった。彼がアイディアをプレイすると、すべてが自然な場所に収まった。だから今度も彼のようなミュージシャンが欲しい。同じように吹けるトランペット奏者なら誰でも歓迎するが、今のところ、私が好きそうなミュージシャンは一人もいないね。今の若いトランペット奏者はみんな好きだが、自分のグループに誘いたくなるかというと、そうでもない。待ち人が現れるまでは、私はカルテットを続けるほうを選ぶ。

1962年11月17日のジャン・クルーゼとミシェル・デロームによるコルトレーンへのインタヴュー。ジャズの手帳誌、一九六三年第八号。(資料04)

収録アルバム

2007年 ブリュッセル、ベルギー

(2022年8月31日掲載)