All Or Nothing At All
(J.Lawrence – A.Altman)
(3分37秒)
【この曲、この演奏】
資料07によれば、このテイクがこの日の5回目の演奏となります。そしてこれが、本テイクとなりました。
四人それぞれがここでの演奏の方向性を掴み、鮮やかな演奏をすることで、この曲にリズムで躍動感を加え、よりこの曲の魅力を引き立てようとの意図が実っています。
このテイクの前では、グダグダのいかにも没テイクとの演奏でした。資料07では、この本テイクはグダグダのすぐ後のテイクとしています。ただ私には、こんなに激変するものかとの思いがあります。ひょっとしたら、この本テイクの前に何かの動きがあったのかもしれません。
インスト物としてのこの曲の代表的演奏が、ここに生まれました。
【エピソード、マウスピース不調説は真なり? その4 批評家からの悪評】
コルトレーンについてのジャズ評論家、ジャズ記者からの評判は、1955年にマイル・バンドに加入してから、常に悪評が多くあった。これは常に新しい扉を開けていく人々の宿命であり、コルトレーンもその代表格と言えよう。私はコルトレーンならば、そんな戯言は気にしないと思うのだが、やはり人の子コルトレーン、大いに気にしていたようだ。この時期の悪評に関する記述が、資料01にある。
ドン・デマイケルの心配は、コルトレーンとドルフィーの二人が、個別に或いは一緒に受けている悪評のかずかずだった。そこで彼は、それに反論するため、二人が自分たちの音楽についてありたっけ語れるような場を提供することを考え。特集ページを組んだ。それは、ダウンビート誌の一九六二年十二月号に掲載された。この特集の特色は、ドルフィーが音楽のテクニックと解釈について語り、コルトレーンが、主として音楽の抽象的、神秘的特質の哲学的解説を試みたところにあった。
エリックは、フルートでやる小鳥のさえずりの模倣についてこう語っている。「小鳥のさえずる音は、FとF♯の中間にあるという風に音符に置き換えられる。これはインド音楽に関しても同じことで、違った音階と四全音を使っているが、やっぱりちゃんとジャズにできる」
ジョンにとって音楽とは、「われわれの住む偉大で、すばらしい宇宙を音で語ることである。音楽は、全世界の反映であり、人生の縮図なのである。生活の一場面や人間の感情をすくいあげて、音楽という言葉に移し変えるのだ」
最後にエリックが、批評家に苦言を呈している。こんな風である。「批評家は、ある音楽が気に入らなかったり、理解できなかった場合、当事者であるミュージシャンにその音楽について質問すべきだ。無責任な批評は有害である。われわれは音楽という仕事を愛しているだけでなく、それに生活を賭けてもいるのだ」
(続く)
【ついでにフォト】
2009年 ペナン島
(2021年3月21日掲載)