In A Sentimental Mood
(J.Mills – M.Kurts – D.Ellington)
(4分17秒)
【この曲、この演奏】
エリントンが1935年に書いたこの美しいバラッドは、多くの方々に取り上げられ、数多くの名演が残っています。コルトレーンの演奏記録は本セッションの1回だけですが、ここでの演奏が、この曲のエリントン系外インストものとしては最高峰と、誰もが認めるものになっています。
ベースはエリントンが連れてきたアーロン・ベル、そしてドラムはコルトレーンのバンドからエルヴィン・ジョーンズとなっています。
さて演奏ですが、エリントンの宝石が転がりながら輝いての演奏で始まり、コルトレーンがテナーでメロディを奏でていきます。「ストレートな歌い上げに聴かれるしなやかさ、透き通るようなトーン、えもいわれぬ哀愁感、ソロにおけるおおらかな表現力、フレージングの柔軟性と、どれを見てもいかに素晴らしいことか」と、資料09にあります。まさにその通り、私にはこれに付け足す言葉はありません。ただ一ついうならば、この文にあるソロがアドリブとのことならば、それはありません。コルトレーンは曲を忠実に、一つ一つのメロディを演奏しています。
さて資料09ではエリントンのピアノについては「さしものエリントンもコルトレーンの影に隠れてしまう」とありますが、コルトレーンの演奏に続くエリントンのピアノ演奏の激しさと哀しさの交錯に、私はいつも聴き入ってしまいます。
もう少しエルヴィンが違った演奏をしていたらとの思いは、贅沢なものなのでしょう。
【エピソード、スタンレー・ダンスのライナーノーツから、エリントンの言葉】
コルトレーンにとって、今回のセッションではかなりの音楽的責任を担うようになった。「とても名誉なことだった」と、セッション後、コルトレーンはいつもの謙虚さでそう言った。「デュークと共演できるチャンスをもらえるなんてね。素晴らしい経験だった。私は多くの面で彼のようなレベルに到達できない。収録曲については録り直してもいいと思った。だが、それではやはり、最初のパフォーマンスの自然発生的なところが薄れてしまう。あれ以上、良くなりようがないと思うね」
デュークもこの自然発生的な部分を尊重したようだ。ある曲について、もうワン・テイク録ろうかという提案があったとき、デュークはこう言った。「やり直すなんてとんでもない。自分自身の模倣に陥るだけで終わってしまうよ」
この訳は資料04からのものだが、最後のエリントンの言葉は、このセッションを語るときに、いろんな資料に使われているものだ。
(資料04の訳から引用)
このエリントンの言葉に関し、資料01では「In A Sentimental Mood」の録音が終わったときに、次のような会話があったとしている。
ボブ・シール
御意見をうかがいましょうか、デューク。
デューク・エリントン
よかったよ。
ボブ
ジョン、君の考えはどうだい、もう一度やるかい?
ジョン・コルトレーン
そうだな・・・
デューク
どうしてやり直すんだ? もう一度同じフィーリングになれるわけがないじゃないか。これでいいんだよ。
2013年 みなとみらい
(2021年3月13日掲載)