19611123-06

Impressions
(John Coltrane)
(11分12秒)



【この曲、この演奏】
 後半の部は、「ネイマ」から始まりました。ヒストリカル・パフォーマンスから1970年代に発売されたLPに収録されていますが、2分半ほどで終わってしまった不完全なものでした。この「ネイマ」についてはそれ以降のブートレグの発売には収録されず、パブロからの2001年発売の「John Coltrane / Live Trane – The European Tours」にも収録されませんでした。

後半の部2曲目として演奏されたのは「インプレッションズ」です。11月18日のパリ公演では前半の部で演奏され、11月20日のコペンハーゲンと22日のヘルシンキでも演奏された曲です。この23日では前半と後半で演奏され、ドルフィーはアルト・サックスで参加しています。しかしこの後半の部では、オープニング・テーマではバス・クラリネットで演奏しています。(資料07)

 さてその演奏ですが、コルトレーンが語った「ソロイストはその曲に含まれる全ての路地を探検する」というものを、コルトレーンもドルフィーも刺激的な演奏で駆け抜けていったかのものです。

 オープニングのテーマではコルトレーンのテナーにドルフィーのバスクラが絡んで30秒ほど、コルトレーンのソロが4分半、ドルフィーがアルトで2分半、そして再びコルトレーンが3分弱のソロを展開します。そして1分弱のクロージング・テーマで演奏は終わっていきます。




【エピソード、ダウンビート誌での批評 1962年4月 その3】
 お馴染みの批判の一つに、彼らのパフォーマンスが長すぎるというものがある。コルトレーンとドルフィが延々と演奏し続けるため、刺激的であることを通り越して単調になっているという卯圧だ。

 コルトレーンが答えた。
 「演奏が長くなるのは、ソロイストがその曲に含まれる全ての路地を探検しようとするからだ。ソロイストは持てる力を全てソロに注入する。ソロイストが取り組むべき課題は多い。例えば私なら、プレイ中に成し遂げたいことがいくつかある。それはエリックもマッコイも同じだから、すべてが終わる頃には、曲が引き延ばされてものすごく長くなってしまう」

 「計算ずくでそうなるわけではない。ただの結果なんだ。パフォーマンスはどんどん長くなっている。そうやって曲は成長するんだよ」

 だが、批判にもあるように曲を編集すべきではないのか。例えばライターなら要点を保ちつつ、文章がくどくて退屈にならないように原稿を編集する。

 コルトレーンは編集の必要性には同意した・・・・・が、その理由は予想を覆すものだった。

 「今でもたまに」と彼は言う。「他のグループと対バン形式でプレイすることがある。そういうときは一晩に何セットも演奏しないといけないから、九〇分の持ち時間を与えられることはない。四五分とか五五分でプレイして、他のバンドと出番を交代する。だから、そういう状況では必要に駆れれて曲を編集し、ソロを短くする」

 「だが、セットに時間的制約がない場合には、すべてが音楽的に一つになれる。何時間プレイしようが関係ない・・・連続性さえ保たれていればね」

 「逆に言えば、何も起こらない瞬間が生じてしまうと、どんな曲でも長い演奏には耐えられないということだ」
ダウンビート誌、一九六二年四月十二日号、20~30ページより (資料04)

収録アルバム

【ついでにフォト】

2010年 タイプーサム、ペナン、マレーシア

(2022年8月22日掲載)