Spiritual
(John Coltrane)
(15分14秒)
【この曲、この演奏】
この日の三曲目は、二曲目と同様に、ヴィレッジ・ヴァンガード四日間全てで演奏された曲です。
John Coltrane(ss,ts)
Eric Dolphy(bcl)
McCoy Tyner(p)
Reggie Workman(b)
Elvin Jones(d)
Garvin Bushell(contrabassoon)
初日との違いは、コルトレーンがソプラノに加えてテナー・サックスも使用していること、そしてガーヴィン・ブシェルがコントラバスーンで参加していることです。
さて演奏ですが、テナーのコルトレーンに、コントラバスーンとバスクラが効果的に絡んでのテーマで始まります。ソロの先発はテナーのコルトレーンの4分弱ですが、ここではマッコイのピアノがハッキリそれとわかるように演奏しており、これはこの曲の最後まで続きます。
懺悔の響きのようなコルトレーンのテナー・ソロの後には、バスクラのドルフィーが続きます。これも4分弱ですが、悪夢を振り払うような演奏です。
そしてマッコイのピアノのソロが、3分弱で披露されています。静けさとブロックコードでの強さを、巧みに織り込んだソロです。
そしてソロの最後は、ソプラノのコルトレーンです。こちらも懺悔の響き、先のテナーが女性ならば、こちらのソプラノは男性の懺悔のようです。1分半のソプラノでのソロの後には、テーマとなり、この演奏が終わっていきます。
この演奏は1985年に世に出ました。
【エピソード、ボブ・シール その3】
ボブ・シールの、幼少期から音楽業界に関わるまでのエピソードには、次のようなことがある。(資料13より抜粋)
1922年、シールの言葉によれば「シープスヘッド・ベイの上流階級」に生まれた。母方の家は、ブルックリンにある街シープスヘッド・ベイで、由緒あるレストランを経営していた。父親はセールスマンで、チョコレートの卸売で小金を貯めていた。
スウィング全盛時代にシールは私立学校に進み、クラリネットを吹いて高校生ダンス・グループを結成し、またローカル・ラジオ局でDJを務めていた。18歳にならないこの早熟な少年は、ジャズ雑誌を創刊し、シグネチュアというレーベルを立ち上げた。
第二次世界大戦の前のこの時期、ニューヨークで活躍するジャズの大御所たちが、この若者の情熱に惹かれ、こぞってシグネチュアで録音をした。やがてこのレーベルは、レスター・ヤングとコールマン・ホーキンスの、テナー・サックスはこうあるべきと示した演奏で、全米で知られる存在になった。1943年にはホーキンスの「私の彼氏」が12インチ78回転盤で発売され、大量注文を受けたのだった。何故に12インチ78回転盤となったのかと言えば、ホーキンスが演奏を止めなかったからだ。深夜のこのレコーディングでは、掃除のおばちゃんがモップを持って掃除を始めそうになったのを、シールが押さえつけていたとのことだ。
【ついでにフォト】
2005年 香港、赤柱での龍舟競漕
(2021年1月21日掲載)