Blue Calypso
(Mal Waldron)
(8分58秒)
【この曲、この演奏】
「大体が暗さと重さが売りもののマルが、明るく軽やかなカリプソを演ろうというのは無理がある」(資料09)
まぁ、ズバリと言うもんだ。「陽気なのを1曲」とワインストックから注文を受けたのかはわかりませんが、「演ろう」との心意気は良いではありませんか。
曲は、マルが「こんな感じかな、カリプソは」との感覚で作ったものです。演奏ですが、「行くぜ、カリプソ」と楽しむテイラーで始まり、マルのソロでは「これでいいのかな」との苦笑いのピアノ。続くコルトレーンは、「ぶっ飛ばそうぜ」と珍しく笑顔を感じるソロです。次のハードマンは、前半はマルよろしく苦笑いの演奏ですが、後半は「オレも飛ばすよ」と急に元気になります。そしてマクリーンのソロは、「オレ、こういうの好き」と伸び伸び演奏です。再びマルの苦笑いに戻り、ある意味で楽しめるカリプソ演奏が終わります。
【エピソード、高校卒業しフィラデルフィアへ】
ベティ・リーチが合同ダンス・パーティで、コルトレーンがクラリネットやアルト・サックスを演奏したのを覚えている。そんな高校生活も1943年に終えた。
コルトレーンは、高校時代の友人のフランクリン・ブラウアーとジェームズ・キンザーとの3人で、1943年6月11日にハイポイントを出発しフィラデルフィアに向かった。ブラウアーの二人の兄がフィラデルフィアにいて、いい稼ぎになる場所だと手紙に書いたのであった。3人は米国政府が兵隊に引っぱるめに、十分に貯金をしようと考え、汽車に乗って旅に出た。
ボビー・ティモンズがフィラデルフィアについて、次にように語っている。
「フィラデルフィアは、典型的な南部の都市同様に人種差別が行われている。北と南に黒人街がある。サウス・ストリートはその区分戦で、その南側から五キロへだったスナイダー・アベニューにいたる地域は黒人だけが住む区域となっていた。北側ではバイン・ストリートからジャーマン・タウンまでが黒人街となっていた。われわれミュージシャンだけがその障壁を破ることができた。というのも、われわれはエンタテイナーとして近辺の白人居住区にゆくことができた。そこで暮らしているあいだ、人種差別に関連した暴動らしいものは一度も起こらなかったが、他の南部の都市同様に、黒人たちは自分たちの土地にとどまっていたし、白人たちは自分の好き勝手にどこへでも出掛けて行くことができたのである。だが、理解に苦しむようなやり方で極端な人種差別をすれば、われわれ黒人たちはなおさら団結して自分たちの文化により集中するようになるのだ。フィラデルフィアでは、われわれ黒人の大半は昼も夜も音楽に夢中になっていた」
(以上全て資料01)
【ついでにフォト】
2006年 香港
(2019年6月4日掲載)